1922(大正11)年、出島は国の史跡に指定されました。戦後、1951年から整備計画に着手し、本格的な出島復元へ向けた取り組みを紹介します。200年以上の歴史をもつ出島。復元は19世紀初めの出島をよみがえらせることになりました。なぜ、19世紀なのでしょうか。また、復元された出島が発信するものとはなんでしょう。
update:2016/04/13
〝ようするに力だ。力の強い奴が勝って、弱い奴が負けるのだ〟
これは遅れていた岩越鉄道(現在の磐越西線)の施設を政府に嘆願するために上京していた会津の仲間たちへ言い放った日下義雄(くさかよしお)の言葉です。このセリフだけ読むと〝物事を力でねじ伏せる傲慢な人物〟をイメージしてしまいます。しかし、日下義雄のいう「力」はまったく性質の違うものでした。昭和三年に発刊された『日下義雄伝』を頼りに読み解いていきたいと思います。
update:2016/04/06
全国でも珍しい2社14寺が一列に建ち並ぶ寺町界隈。ここは、前回の歩くコツでもご紹介したように、日本の伝統的神社と中国色豊かな寺院が隣接する、異国情緒と称されるいかにも長崎らしいエリアです。これらの寺社が建立されたのは1600年代以降。その背景には、町建てのきっかけであり、その後この町で見事に花開いたキリスト教と、国が推し進めた仏教、宗教の歴史が存在しています。
update:2016/03/31
第20回目は、日本三大中華街のひとつ「長崎新地中華街」です。
update:2016/03/29
安政の開国以後、出島は大きく変貌します。出島オランダ商館は廃止されて領事館となり、さらに出島は外国人居留地に編入されます。また、明治になると日本人と外国人の交流を目的とした長崎内外倶楽部が新築されました。いつの時代にも“つながる”ことを求めた出島でしたが、しだいにその扇型の姿は陸に消えていきました。
update:2016/03/08
平成二十七年、長崎県美術館は長崎の芸術家、山下南風(なんぷう)の作品二十五点を新たにコレクションに加えました。大浦天主堂やオランダ坂、南山手の洋館に出島、そして昭和初期の大波止や浜の町の街並。長崎の風景が華麗に〝切り刻まれて〟います。えっ、切り刻まれる?「描かれる」の間違いでは? いえいえ本当に切り刻まれているのです。
update:2016/02/12
第19回目は、これぞ!坂の町、長崎「オランダ坂界隈」です。
update:2016/02/08
「かっぱっぱルンパッパ かっぱ黄桜かっぱっぱ♪」
ご存知の方も多いと思います、酒造メーカーのCMソング『かっぱの唄<黄桜>』の歌いだしの部分です。「黄桜」といえば「かっぱ」というほど、そのイメージが定着していますが、このブランド・キャラクターを生み出したのが長崎出身の漫画家の清水崑(こん)さん。今回は、戦前・戦中・戦後という激動の時代を、筆一本でしなやかに生き抜いた「清水崑の世界」をひも解いてみたいと思います。
update:2015/12/07
現在の長崎文化に色濃く残っているのが中国文化。祭りであったり、風習や風景であったりと、目に見える物が多数残されているのが中国文化です。それは、2社14寺が建ち並ぶ寺町界隈もしかり。日本の伝統的神社と、中国色いっぱいの寺院が隣り合わせにある風景は、長崎文化そのものといえるでしょう。今回はそんな長崎の歴史に触れる散策路をご紹介。
update:2015/12/03
2015年7月8日、「明治日本の産業革命遺産」が世界文化遺産に登録されました。8県11市の23構成資産のうち、最多の8資産がある長崎市。このまちが日本の近代化における重要地点の1つであったことを示しています。今回は8資産の中から、公開中の資産をピックアップ。路線バスに乗って、長崎ならではの町並みや風景も楽しめるルートを紹介します。
update:2015/11/06
長崎の代表的な祭「長崎くんち」で知られる諏訪神社界隈を早起きして歩いて見ませんか。清々しい空気と厳かな神事に遭遇して運気が上がるかもしれません。今回は諏訪神社に参拝してから長坂を降っていくコースです。
update:2015/09/24
長崎市の花「アジサイ」に代表されるように、シーボルトの熱心な研究によって、数々の日本の花が海外へと紹介された。当時の長崎に咲いた花、市民が愛した花などにも触れながら、植物学者としてのシーボルトに迫る。
ズバリ!今回のテーマは「長崎に咲く花、咲かせた花」なのだ。
update:2015/05/12
いよいよ冬です。寒いのは大変ですが
そんな、空気が冷たく澄んでいる季節だからこそ
映えるものもあります。
よそから来た人を魅了する、長崎の「アレ」です。
update:2012/03/28
「生き生きけんこー講座・23」です。
なお、これはあくまでもナマの長崎弁を学ぶためのもので
ほんとうの健康講座ではありません。
従って、講座内容が正しいかどうかは
保証できませんので、あしからず。
update:2009/11/26
元亀2年(1570)の開港以来、長崎には外国文化が押し寄せました。
特に中国文化は市民に浸透。
音楽の分野では明清楽(みんしんがく)が伝授され、現在でも長崎明清楽保存会(山野誠之会長)によって、大切に受け継がれています。
update:2001/12/01
小学生ほげ太くんと、未来のロボットガラエマンとの
心あたたまる友情物語……のはずですが
ガラエマンは、いまいったい学校のどこにいるのか!?
update:2008/03/29
ポルトガルとの貿易港として繁栄した長崎は、ガラス製品伝来の地でもあります。中世にほぼ断絶していた日本のガラス製造技術は、長崎からあらたな発展をはじめ、京、大坂、江戸へと技術が伝わったといわれています。18世紀初頭には長崎土産にあげられていることからも、長崎においてガラス製品の製造が盛んだったことがわかります。
update:2011/10/11
ザボンといえば、ザボン漬けが主でしたが、長崎市内のみかん生産者が数年前からそのまま食べられる「長崎ザボン(紅まどか)」の復活に取り組み、生産が始まりました。ザボンの原産地は、アジア 南部(ポリネシア・マレーシア)で、1667年に日本で初めて長崎に種が持ち込まれ、西山神社に播かれたといわれています。今でも三代目の原木が西山神社に現存しています。
update:2009/12/01
ボラの卵巣を塩漬けし、乾燥整形したもので、形が唐(中国)の墨に似ているところから「からすみ」と呼ばれています。その発祥は中東であるとの説もあり、長崎へは唐より伝えられたといわれています。昔は、朝鮮人参などと同じく不老長寿の妙薬として珍重され、江戸時代には、徳川家へ代々献上されていました。当時は「越前のうに」、「三河のこのわた」とともに「天下の三珍」といわれていたそうです。
update:2003/11/20
その名も「グラバースカイロード」。大浦石橋(大浦天主堂下を通過する路面電車の終点)から南山手方面へ徒歩1分。
坂の街・長崎に、全国でも類をみない斜面エレベーターなる交通手段が誕生し、地元の人はもちろん観光客にも頼られる「足」となっている。
update:2008/09/26
明治20年代に入り、鉄道敷設や造船などの鉄鋼需要が急増したことによって発展、日本の近代重工業を代表する産業となっていったのが、土木、建築、造船などの素材となる鉄鋼業です。最終回では、明治期後半、産業革命の集大成となった鉄鋼業の歩みに触れます。
update:2015/05/13
「かまぼこ」は、長崎では普通「かんぼこ」と呼ばれて親しまれています。
この「かまぼこ」の歴史は古く、平安時代に神功皇后が地方征伐の際に、生田の社ですりつぶした魚肉を鉾の先につけて焼いて食べたのが起こりといわれていますが、これは、今で言う「竹輪」のこと。今日のように板にすり身を付け焼いて食べるようになった室町時代から、竹輪と板に付けたものを蒲鉾と区別するようになったらしく、蒸すようになったのは江戸時代からだそうです。「かまぼこ」は、長崎では普通「かんぼこ」と呼ばれて親しまれています。
update:2003/12/24
今回は、これも方言だったの? というものや
全国区だと思ってたら違った? というもの特集です。
長崎に限らず、九州各県でも使われている言葉もあります。
てっきり標準語だと思って、まちがえて使わないよう
気をつけましょう!
update:2008/10/02
気品の高い、いかにも英国紳士といった風貌。偉大な父、トーマス・ブレーク・グラバーの長男として誕生した富三郎は、実は戦後長崎を支えた恩人でもあった。昨年、建設され150年を迎えた「グラバー邸」のもうひとりの住人、倉場富三郎とは?
ズバリ!今回のテーマは「息子トミーの知られざる功績に迫る!」なのだ。
update:2014/12/26
古賀人形は、京都の伏見人形、仙台の堤人形と並んで、日本の三大土人形のひとつに数えられています。昔は百数十種類あったといわれる人形の型も、壊れたり、長い間使わず放置されていたために風化したりして、今では半分くらいに減ってしまったそうです。最初は子供の玩具として作られていたと言われますが、現在では長崎っ子にとってもなかなか手に入りにくいものです。
update:2004/02/16
ああ、スポーツの秋、行楽の秋。
歩くのには、とてもいい季節ですね。
今回は、遠足に行く前の、先生の注意に
耳をかたむけてみましょう。
update:2003/04/07
第13回目は、長崎の古い町並みが残る「東古川通り」です。
update:2014/10/08
長崎外国人居留地は、安政の開国を機に、世界各国から訪れた外国人たちに対して、幕府が居住と交易を認めたエリアです。グラバー園で知られるトーマス・グラバーをはじめ、諸外国の商人が来訪し、このエリアに居住。商社、領事館、ホテル、遊技場など、外国文化が花開きました。その時代の名残が、現在の長崎の異国情緒につながっているんです。穏やかな長崎港を見下ろすことができる東山手、南山手は、かつて移り住んだ外国人たちも愛した町並み。少し暖かくなってきたら、心地よい海風そよぐ外国人居留地跡へ出掛けてみませんか。芽吹きはじめた草木や花達が、春の装いで出迎えてくれます。
update:2015/03/16
第15回目は、昔々は海だった!?「恵美須町界隈」です。
update:2015/02/24
長崎っこはその昔、母親から「今日のおやつはおじさんから貰ろうた『シースクリーム』よ」と言われたら、思わず「やった~」と叫んで飛び回ったものです。長崎っこの間では「ケーキ」といえば『シースクリーム』のことでした。
update:2005/02/22
教会堂の鐘、寺院の鐘、はたまた教会堂から寺院のそれへと生まれ変わった鐘……今も教会と寺院の鐘の音が絡み合うように、類い稀な宗教史を持つ長崎には様々な鐘が存在する。鐘の製作者である鋳物師の話も交え、長崎ゆかりの鐘を紹介する。
ズバリ!今回のテーマは「厳かな響きが物語る長崎の歴史に迫る!」なのだ。
update:2015/03/27
長崎の地方史研究家 越中哲也先生にご解説いただきながら、町に眠る歴史を紐解いていく恒例企画。今回は、旧長崎街道沿いにある本河内町界隈を散策しながら、のどかな旧街道の風情と、長崎の歴史を物語る史跡を紹介する。
ズバリ!今回のテーマは「あなたの知らない世界が広がるまち、本河内」なのだ。
update:2015/03/31
世界遺産の政府推薦案件に決定した「明治日本の産業革命遺産 九州・山口と関連地域」の23の構成資産のうち、長崎市には、8つの近代化遺産が所在しています。そこで、コラム初回では、明治期の長崎がどのように日本の近代化に携わり、役割を果たしていったのかを時代背景とともに紹介します。
update:2015/05/13