古賀人形は、京都の伏見人形、仙台の堤人形と並んで、日本の三大土人形のひとつに数えられています。昔は百数十種類あったといわれる人形の型も、壊れたり、長い間使わず放置されていたために風化したりして、今では半分くらいに減ってしまったそうです。最初は子供の玩具として作られていたと言われますが、現在では長崎っ子にとってもなかなか手に入りにくいものです。

この人形は色づかいも大胆で、動物などは表情も豊かです。ある意味コワイと表現してもいいほどの存在感があります。子供の頃、犬の口がなぜバッテンなのか不思議で、ひょっとしてこれは家族の誰かがいたずらして書いたのかと密かに父を疑ったくらいです。招き猫も人間くさい表情になんとも言えないインパクトがあります。
今でもよく見かけ、なじみのある人形はやはり、子供をつれた西洋婦人(写真)や鉄砲をもったオランダ人、鶏を抱いた阿茶さん(中国人)など、長崎ならではの異国情緒豊かな題材のものでしょう。



西洋婦人のモデルになったのは、出島オランダ屋敷のカピタン、ブロムホフ夫人テルデベルフスマで、彼女は来日した最初の外国人女性といわれていますが、当時、外国人女性の在留は禁じられていたため、涙をのんで帰国したといいます。そう思ってみると、あでやかな顔も寂しげに見えます。
オランダさんは、鉄砲を持ち、猟に出かけるオランダカピタンの姿をかたどったもので、阿茶さんは、唐人屋敷に隔離されている中国人が、年に2回くる船を待ちわび、その寂しさを紛らわすためにシャモとたわむれる様子を表したものです。この人形もユーモラスな姿をしているのにもかかわらず、わずかな悲しみみたいなものを感じます。


古賀人形の起源は古く、一説には元禄年間から作られたと言われていますが、現在ではこの素朴な手作りの伝統を引き継いで作り続けているのは、一軒だけとなっています。そういう意味でも大切にしたい長崎の人形です。




【もどる】