2015年7月8日、「明治日本の産業革命遺産」が世界文化遺産に登録されました。8県11市の23構成資産のうち、最多の8資産がある長崎市。このまちが日本の近代化における重要地点の1つであったことを示しています。今回は8資産の中から、公開中の資産をピックアップ。路線バスに乗って、長崎ならではの町並みや風景も楽しめるルートを紹介します。
日本の近代化は19世紀中頃から始まり、20世紀初頭には完成期に達しました。この間、要した年月はわずか50年余りと驚異的なスピードでしたが、なぜ日本はこれほど速く近代化を成し遂げることできたのでしょう。その要因は200年以上にもわたった、鎖国時代末期に端を発します。
江戸末期、鎖国を続けていた日本に対し、開国を求める外国船が現れるようになりました。大きな危機感を抱いた幕府は、外洋でも航海できる艦船の建造と海軍の創設を計画。オランダの助けを借り、長崎の西役所(現在の長崎県庁)に「長崎海軍伝習所」を開設します。長崎海軍伝習所とは航海、運用、砲術、医学などを学ぶ学校。オランダ海軍軍人や技師が「教師」、旗本や御家人、諸藩から選抜された有志たちが「生徒」でした。オランダからは練習艦として蒸気船「スンビン号(観光丸)」が寄贈され、操舵の訓練が行われます。さらに船の大型化のために建設が進められたのが、三菱重工業(株)長崎造船所(以下、三菱長崎造船所)の前身である「長崎鎔鉄所」。オランダ海軍機関将校・ハルデスを雇い入れ、近代的な工場群が完成しました。
一方、幕府は江戸防衛にも動き出します。直轄領である韮山(現在の静岡県伊豆の国市)に、大砲の鋳造に必要な大量の金属を溶かすための反射炉の建設に着手。日本で最初に鉄製大砲鋳造に成功した佐賀藩の応援もあり、着工から3年半の歳月をかけて完成しました。
幕府と同じように薩摩藩、長州藩、土佐藩、佐賀藩などの各藩においても近代化に向けた計画が着々と進みます。たとえば、島津斉彬が藩主となった薩摩藩は海防強化に着手。鹿児島湾と桜島を望む島津家別邸「仙巌園(せんがんえん)」の敷地の竹林を切り拓き、反射炉や蒸気機関の研究所などの工場群を建設。一帯は「集成館」と名付けられました。また、佐賀藩は藩の和船を管理していた三重津に、洋式船の運用技術を教育するための「御船手稽古所(おふなてけいこしょ)」(三重津海軍所の前身)を設置。その後、日本初の実用蒸気船「凌風丸」が三重津海軍所で建造されます。
また、佐賀藩は蒸気船の燃料となる高品位炭の採炭に取り組み、スコットランド出身の貿易商トーマス・ブレーク・グラバーと共同して高島で日本最初の蒸気機関を導入した西洋式竪坑を開発しました。
このように幕府または各藩の努力によって様々な施設や設備が誕生し、段階を追って発展を遂げていったのが「製鉄・製鋼」「造船」「石炭産業」の3つの産業です。試行錯誤しながらも貪欲に取り組んだ最先端技術の習得、そして知識の向上。近代化までの道のりは国家の威信をかけた大事業であり、サムライたちの熱い思いと抱いた夢が日本を近代化へと導きました。「明治日本の産業革命遺産」は、日本が辿った奇跡のようなプロセスを証明するものなのです。
では実際に構成資産を見学。間近で見られる公開資産はもちろん、非公開資産でもここからならベストビュー!というスポットへ。長崎駅を起点にして、アクセスはあえて路線バス。のんびり途中下車しながら世界遺産ビュースポットをめぐる旅に出発!!
~長崎駅前南口バス停(スタート)→市民病院前バス停~
最初の目的地は「長崎水辺の森公園」。ここでは構成資産のひとつ「ジャイアント・カンチレバークレーン」を見ることができます。ジャイアント・カンチレバークレーンは三菱長崎造船所内にある非公開の資産ですが、海沿いに設置されているため対岸に位置するこの公園は絶好のビューポイント。海を挟んではいますが、全高61.7m、吊り上げ能力最大150トンのクレーンの全景を見ることができます。クレーンの竣工は明治42年9月。構成資産の中では数少ない“現役”の資産であり、100年以上の月日を経た現在も、タービンや大型プロペラなどの船積みの際に活躍しています。運が良ければ、実際に稼働している様子を見ることができるかもしれません。
長崎駅前南口バス停から長崎バス経由番号30番・40番のバスに乗車し、長崎県庁前を通過。長崎県庁はかつて長崎海軍伝習所、奉行所西役所、イエズス会本部があった場所であり、現在は跡地を示す石碑が建っています。
長崎県庁を通過してバスは一路、長崎市南部方面へ。「市民病院前バス停」で途中下車して、歩いてすぐの「長崎水辺の森公園」に向かいましょう。
~市民病院前バス停→グラバー園入口バス停~
市民病院前バス停の次のバス停が、「旧グラバー住宅」の最寄りバス停となるグラバー園入口です。グラバー園入口バス停のすぐ近くに建つ「長崎市旧香港上海銀行長崎支店記念館」も立ち寄っておきたいスポットのひとつ。石造りの洋館は明治から昭和にかけて活躍した建築家、下田菊太郎の設計によるもので、長崎市内の洋館群の中では最大級の大きさを誇ります。明治、大正時代には神戸より西では唯一の外国資本の銀行として隆盛を誇り、戦時中は梅香崎警察署として利用され、湾岸警備などの拠点として活躍しました。
この建物の裏手にあるグラバー通りは、長崎らしい石畳の坂道。道沿いには、たくさんの土産品店が軒を連ね、坂を上り切ると正面に国宝の大浦天主堂が見えます。天主堂前を通過し、エスカレーターを乗り継いでグラバー園第1ゲートへ。ここで入場券を購入。園内をのんびり散策しながら世界遺産の構成資産「旧グラバー住宅」(グラバー邸)を目指します。グラバー園は、グラバー邸、リンガー邸、オルト邸の周辺に長崎市内に点在していた明治期の建造物6棟を移築するなどして整備された観光施設。昭和49年9月4日、グラバー邸からグラバー園へと改称し、平成26年9月4日で40周年を迎えました。園内には洋館が9棟、その中の1棟が「旧グラバー住宅」です。もともとはスコットランド出身の貿易商トーマス・ブレーク・グラバーが自宅兼事務所として、長崎港を見渡す居留地の一等地に建設。日本に現存する最古の木造洋風建築です。三菱の経営にも深く関わったグラバーでしたので、造船所が見える土地に居を構えていたのでしょう。
入園料:大人610円、高校生300円、小・中学生180円
開園時間:8時~18時(入園受付は~17時40分)※季節によって閉園時間が異なります
休:無休
TEL:095-822-8223(グラバー園管理事務所)
~グラバー園入口バス停→小菅町バス停(戸町経由)~
グラバー園入口バス停に戻り、経由番号30番(二本松経由を除く)のバスに乗車してさらに南部方面へ。ここからは海沿いのルート。松ヶ枝営業所前、小曽根、浪の平、古河町の各バス停を通過。小菅町バス停で下車したら「小菅修船場跡」までは歩いてすぐです。
小菅修船場跡は蒸気機関を動力とする曳揚げ装置を装備した洋式スリップドック。建設に当たっては薩摩藩とグラバーが共同で建設し、蒸気機関や曳揚げ装置などはグラバーが英国から輸入しました。当時の船架の形状がそろばんに似ていたことから別名「ソロバンドック」とも呼ばれています。地元の人たちにとっては、この呼び方のほうがなじみ深いかもしれません。また、敷地内に建っている曳揚げ小屋にも注目。外壁に通称「コンニャクレンガ」と呼ばれる薄い赤レンガを使用した、日本最古の本格的なレンガ造の建物です。
~小菅町バス停→高浜海水浴場前バス停~
ここからはさらに南部方面へと向かう経由番号30番(野母崎・樺島・岬木場行き)のバスに乗車。構成資産「端島炭坑(軍艦島)」を陸上から眺めるルートです。海岸線に面した右側のシートを確保、戸町トンネルを抜け女神大橋下を通過する頃、目の前に海が広がります。海上の船と並走しているような車窓の風景が目に飛び込んできます。時間帯によっては大型客船の入港、出港に遭遇できるかもしれません。
一旦、海沿いを離れたバスは蚊焼バス停を過ぎたあたりから、ふたたび海岸線沿いのルートに。しばらく走ると、海上に端島(軍艦島)が見えてきます。手前に位置する高島も、かつて炭鉱で栄えた島。島内では、蒸気機関を導入した日本初の洋式炭坑である高島炭坑(北渓井坑跡 ほっけいせいこうあと)が見学できます。
野母崎方面に進むにつれ、端島(軍艦島)の全景が段々と近くに見えるようになり、軍艦「土佐」に似ていたことから軍艦島と呼ばれるようになった独特のシルエットが分かります。
時間に余裕があれば、以下宿バス停で途中下車。寄り添うように立つ2つの岩「夫婦岩」で、記念撮影をしましょう。向かって左の岩が高さ11m・周囲24mの男岩、右の岩が高さ11m・周囲26mの女岩。この2つの岩の間から端島(軍艦島)が見えるアングルがユニーク。絶好の撮影スポットです。ただし、バスの本数が限られているので一旦下車すると次の便までしばらくは待つことになるので、時間がない場合は車窓から眺めるだけに留めておく方がいいですね。
さて、次なる目的地は「高島海水浴場前バス停」です。このあたりまで来ると、道沿いに咲く色とりどりの花々や木々など雰囲気は南国。のどかさに癒されます。高島海水浴場は「日本の水浴場88選」に選ばれた海水浴場。ビーチ正面に端島 (軍艦島)、東シナ海に沈む夕日が望めます。
~高浜海水浴場前バス停→運動公園前バス停(ゴール)~
最後の下車地は運動公園前バス停。運動公園の敷地内に「軍艦島資料館」があります。炭鉱閉山後、無人となった端島(軍艦島)。資料館では炭鉱が稼働していた頃の様子を撮影した写真を多数展示。炭鉱マンの働く姿や島に暮らす人々の日常生活など、当時の島の賑わいがわかります。建物の屋上には展望スポットがあり、ここからの眺めもおすすめ。資料館の隣「のもざき物産センター」では、端島(軍艦島)関連の商品を販売しています。
料金:無料
営業時間:9時~17時
休:12月29日~1月3日
TEL:095-822-8888(長崎市コールセンター「あじさいコール」)
~長崎駅前バス停(スタート)→三菱電機前バス停~
次のルートは4つの構成資産を擁する三菱長崎造船所方面へ。長崎駅前の高架広場下にある長崎駅前バス停で長崎バス経由番号6番、または長崎県営バス(立神・神崎鼻口行き)に乗車します。
走り出したバスは国道499号を北部方面へ。宝町交差点を通過して左折、浦上川にかかる稲佐橋を経由、国道202号に入ります。橋の名前からも分かるように、このあたりは長崎のシンボルマウンテン「稲佐山」のふもとに位置する町。標高333mの稲佐山の頂上には展望台があり、世界新三大夜景に選ばれた長崎の夜景が一望できます。
バスは旭大橋の橋げたの下を通過。「三菱電機前バス停」で途中下車してみましょう。旭町の岸壁からジャイアント・カンチレバークレーンが見えます。向かって右手に視線を移すと、山間に建つピンク色のかわいい建物を発見。「飽の浦教会」です。遠目からでもくっきり視界に入る印象的な佇まいは、1959年12月3日落成の聖堂です。
~三菱電機前バス停→飽の浦バス停~
ふたたびバスに乗車したら、おすすめは左側のシート。「研究所前バス停」を通過して間もなく、車窓から見えるのが国道沿いに連なるレンガ塀です。長崎は東山手や南山手といった旧居留地でなくても、このようにレンガ造の建物や塀に遭遇できる町。異国情緒あふれる町並みに赤レンガは欠かせません。
高いレンガ塀を隔てた向こう側が三菱長崎造船所です。三菱長崎造船所内にある構成資産は、ジャイアント・カンチレバークレーン、旧木型場(きゅうきがたば)、第三船渠(だいさんせんきょ)、占勝閣(せんしょうかく)の全部で4つ。このうち一般公開されているのが「旧木型場」です。
旧木型場は鋳物製造に用いる木型の製造工場として長年使用された2階建ての建物。外壁はレンガでできています。造船所に現存する建物の中では最も歴史が古く、1898年に竣工しました。現在は史料館として活用され、前身の長崎鎔鉄所の建設当時から現在に至るまでのさまざまな資料を展示しています。(※見学は完全予約制)
~飽の浦バス停→ドック上バス停(ゴール)~
バスは飽の浦トンネル手前を左折、県道236号に入ります。ここから先、車窓から間近に見えるのは巨大クレーンなど“造船所の町”を体感できる風景。特に岩瀬道町バス停から次の八軒家バス停までの間は、外の風景から目を離さないでくださいね。離れた位置からにはなりますが、木々に守られるように佇む「占勝閣」が見えます。
占勝閣はもともと第2代長崎造船所長、荘田平五郎の邸宅として建設されましたが、所長宅としては使われることなく迎賓館となりました。現在も新造船の命名引渡式などの造船所としての大事な行事や来賓の接待などに使用しています。1905年、軍艦「干代田」 艦長の東伏見宮依仁親王が宿泊された際に 「風光景勝を占める」 という意味で占勝閣と命名されたといわれています。洋風木造2階建の内部には、1階に食堂、応接室、書斎など、2階には寝室やホールなどがあり、煉瓦造の地下には厨房を備えています。遠くから見てもわかる美しさと溢れる気品は、1904年に創建された当時の状態のまま。バスの中からだと視点が高く、より見やすいですね。
~長崎駅前→史料館→長崎駅前~
三菱長崎造船所内で唯一、見学ができる旧木型場。実際、館内に入ってみると奥行き、高さともに広々とした大空間に圧倒されます。建物自体は1985年に改装されましたが、木材の梁や柱は竣工当時のまま。長い時を経た重厚感と趣を感じることができます。
なお、旧木型場を見学する場合は、必ず長崎駅前を発着する見学者専用シャトルバスを利用して下さい(完全予約制)。シャトルバスは史料館に向かい、館内を見学後、同じバスに乗車して長崎駅前まで戻るというルートです。所要時間は移動時間約40分(往復)+見学時間約50分。史料館の公式ホームページで、シャトルバスの運行時刻および見学時間など詳細を確認できます。
入場料:大人(高校生以上)800円、小・中学生400円、未就学児無料
開館時間:9時~16時半
※完全予約制。見学希望者は必ず電話で予約してください。(当日予約可)
休:第2土曜、2015年12月29日~2016年1月4日、2015年11月15日(史料館停電日)
TEL:095-828-4134(史料館)
※今回紹介した「ジャイアント・カンチレバークレーン」「占勝閣」は一般公開していません。三菱長崎造船所構内からの見学はできません。