文・宮川密義

許諾番号
J030407883



歌謡曲には男と女の愛の物語が多く歌われますが、相思相愛のハッピーな愛よりも、片思いか別れの寂しさ、悲しみ、未練などが軸になっています。ここでは、同じ「愛」でも人類愛や大自然、ふるさとへの愛着など、広義の「愛」を歌った曲を選んでみました。
 
 
1.「わたしの長崎」
(昭和50年=1975、山上路夫・作詞、森岡憲一郎・作曲、小柳ルミ子・歌)


長崎空港の開港(昭和50年5月1日)を記念した歌8曲の中の1曲で、「わたしの城下町」のヒットで一躍スターになった小柳ルミ子が初めて取り組んだ長崎ものです。シングル盤「花車」のB面と、LP盤で発表しました。
空港の歌は「さよなら ながさき」などのように“別れの歌”になりがちですが、ここでは2人の愛の深さを長崎の街で改めて確認、愛の街・長崎に再び2人で来ましょう…と、明るく歌い上げました。
小柳ルミ子の潤いのある声と変化のあるメロディーが印象的で、発表当時、この歌のメロディーが空港内に流され、到着ゲートからロビーまでの間、歩くテンポに合わせるかのように、アンジェラスの鐘の音も混じった軽快で美しいメロディーが旅情を慰めました。
現在は「でんでらりゅうば」や「がんばらんば」など5曲がオルゴール・バージョンで流れています。

「わたしの長崎」が入った レコードの表紙



2.「みんな長崎を愛してる」
(昭和63年=1988、松原一成・作詞、大鋳武則・作曲、ZINM・歌)



長崎の歌を中心に活動していたバンド、ZINM(ジンム)によるこの歌を、昭和63年にNHK長崎放送局が取り上げ、昼間の時間帯に毎日のようにテレビで放映しました。
平成2年8月から11月までの94日間、長崎で開かれた旅博覧会のキャンペーンソングにも取り入れられ、期間中は浜町のアーケード通りのスピーカーから繰り返し流されました。
ZINMはこの歌で一躍人気を集め、この街を歌って あーよかった/この街を愛して ほんとによかった〜ばんざい ばんざい ばんざい 長崎ばんざい…と歌う「長崎万歳」など長崎の歌にこだわったCDアルバムを出したり、長崎くんちでも伝統の歌と踊りに新しい感覚を吹き込んで、奉納踊りに参加したりするなど、精力的に活動しました。
「みんな長崎を愛してる」をはじめとするZINMの歌で、市民も改めて長崎の町の魅力を見直し、愛着を深めるキッカケにもなり、長崎の活性化に貢献しました。
平成7年にボーカルの大鋳武則(おおい・たけのり)さんが病気のため亡くなり、グループも解散しましたが、作詞とプロデュースを担当していた松原一成(まつばら・かずなり)さんは、長崎の歌づくりやイベントなどの演出を続け、長崎の町おこしに頑張っています。
平成元年4月にはクラウンレコードの松本未来(まつもと・みき)さん(北九州出身)がこの歌で全国デビューしましたが、ヒットとまではいきませんでした。

「みんな長崎を愛してる」初版テープの表紙

 

3.「小さな島の大きな愛」 
(平成9年=1997、松原一成・作詞、ジョーゲン・クルーズ・作曲、ZINM・歌)


石炭の島からマリンパラダイスへ大きく脱皮を図っていた長崎市高島町(当時は西彼杵郡)が、平成8年度の県ふるさと夢づくり支援事業の補助金を使い、「青空高島」など町のイメージソングを自主制作しました。
「みんな長崎を愛してる」のZINMが中心となり、1年かけて「小さな島の大きな夢」と題するCDアルバムが出来ましたが、この中の1曲に元ZINMのメンバーの1人で、福岡で活躍中のピアニスト、ジョーゲン・クルーズさんが作詞、作曲し英語で歌った「THE SMALL ISLAND WITH A BIG HEART」があり、話題になりました。
心が大きくなるような高島のおおらかな自然を称える歌でしたが、ZINMの松原一成が日本語の詞を付け、“どんな時にも人を優しく包み込んでくれる不思議な島の力を”「愛」という言葉で表現しました。
この歌のボーカルはロック系のミュージシャン、長濱一郎が担当しました。

「小さな島の大きな愛」も入った
CDアルバムの表紙

 

4.「I LOVE ながさき」
(平成17年=2005、川田金太郎・作詞、作曲、歌)




国見町在住のフォークシンガー、川田金太郎(かわだ・きんたろう)さんが東京から長崎に移住して10年になった平成17年、長崎への感謝を込めたCD「10years」を自費でリリースしましたが、この歌はこのアルバムの軸になる曲です。
金太郎さんは東京でラジオのパーソナリティーや司会業、役者などをしていた人。仲間とオートバイで普賢岳噴火災害の募金をしながら島原を訪れましたが、国見町が気に入って仲間数人と国見に移住し、NBCラジオの「がまだせ!ラジオ」に出演するなど九州各地で活躍を続けています。
平成10年には4人組「金太郎樂団」として初めてのCDアルバム「LETTERS」に収録された「チャンポン」は“ちゃんぽんレシピ・ソング”として人気を集めました。
さだまさしさんが稲佐山で続けていた平和コンサート「夏!長崎から」の後を引き継ぎ、平成19年から「夏!まだまだ長崎から」と銘打ったイベントでも活躍しています。
「I LOVE ながさき」はNHK長崎放送局のキャンペーンソングとして手がけた曲ですが、長崎の魅力を再確認して、その素晴らしさを未来の長崎に伝えよう…というメッセージが込められています。


「I LOVE ながさき」も入った
CDアルバムの表紙

 

5.「ふるさとの風よ」
(平成19年=2007、野元靖子・作詞、寺井一通・作曲、宮崎ミサ子・歌)


長崎を拠点に活躍するシャンソン歌手、寺井一通(てらい・かずみち)さんが平成19年10月に発表したCDアルバム「長・崎・歌・百・景」ベスト「ふるさと」に収録されている歌です。
寺井さんは“ふるさと・長崎に根ざした音楽活動を!”を合言葉に、県内各地の人々と共に歌作りに励み、「長・崎・歌・百・景」シリーズのほか、歌を通して原爆・平和を訴える活動を続けています。
この歌は、過去の作品の中から選んだものですが、寺井音楽事務所の野元靖子(のもと・やすこ)さんが若い頃にまとめた詩に寺井さんが付曲、「ふるさとを歌う合唱団」の一員だった宮崎ミサ子さんが歌いました。
寺井さんによると、野元さんの作品は専業農家の両親への思いを率直に表現していて、心を動かされた…そうです。
確かに懸命に働く両親への気遣いと、ふるさとへの愛が伝わってくる歌です。


CDアルバム「ふるさと」の表紙


 

6.「懐郷」
(平成18年=2006、佐田玲子・作詞、作曲、歌)


長崎出身でさだまさしの妹、佐田玲子(さだ・れいこ)が5年ぶりに出したニューアルバム「懐郷(かいきょう)」のタイトル曲。地名は入っていませんが、CDのラベル面には大浦天主堂が描かれており、遠くで聞こえる船の汽笛や寺の鐘…のフレーズも長崎のイメージです。
アルバムのライナーノーツには「すぐ戻るつもりで上京してこんなに長く都会にいるなんて思いもしなかった。地方出身者の多いこの東京で故郷を思う事は多々ある。故郷は父や母のいる場所。…故郷という認識は、実は親なのだ。無償の大きな愛情で包んでくれる。つまり親と故郷は同義語なのだとようやく気づいた」とあるように、都会の雑踏の中で故郷を思い両親への愛を確かめる歌。
1950年代に集団就職で都会に出た若者と故郷の間に交された肉親や友人の気遣いや温もりを盛り込んだ歌や、彼女が平成21年に長崎言葉でほのぼのと歌った「好いと」などを想起させます。
アコースティックギターの音色を生かした温かい伴奏をバックに、ゆっくりしたテンポで聴かせる美しくぬくもりのある歌です。


CDアルバム「懐郷」の表紙



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