文・宮川密義


アジサイのシーズンを迎えました。今回は長崎市内でアジサイが比較的多く植栽されたポイントを“歌さるき(歩き)”してみましょう。(本文中の青文字はバックナンバーにリンクしています)

(1) シーボルト宅跡・シーボルト記念館
  文政2年(1823)出島にやってきたオランダの医師・シーボルトは植物学者でもあり、アジサイが好きで、日本人妻たきに因んでアジサイの学名を「オタクサ」と付け、「日本植物誌」に発表しました。
長崎市は歴史的な意味をもつアジサイを昭和43年1月に市花に制定、市内各地にアジサイが植えられるようになりました。
特にシーボルトが日本人に医学を伝授する「鳴滝塾」を開いたシーボルト宅跡にはアジサイがよく似合い、昭和48年には歌謡曲「あじさい旅情」を発表した島倉千代子や作詞の石本美由起、作曲の服部良一、それに地元の知名士の皆さんによってアジサイの記念植樹も行われ、ひところはシーボルトの晩年の胸像の前に美しい花を咲かせていましたが、最近は数も少なくなりました。長崎市では隣接する市営のシーボルト記念館敷地をアジサイで飾るということです。
(2) 中島川公園
  眼鏡橋脇にある中島川公園は、季節にはアジサイが咲き、眼鏡橋を訪れる皆さんに喜ばれていました。最近この一帯で大規模な河川工事が行われたため、アジサイは一時減りましたが、今年の「ながさき紫陽花(あじさい)まつり」に合わせて植栽が行われました。
(3) 風頭公園
  島倉千代子が歌った「あじさい旅情」の発表に合わせて、昭和48年7月「あじさい祭り」が行われ、風頭公園には「アジサイ公園」を設けて多くのアジサイが植えられました。
(4) グラバー園
  昭和48年に始まったアジサイ祭りは“アジサイの街”をアピールしてそれなりの効果を得たとして3年で終わりました。しかし、観光客からの要望もあり、平成6年にグラバー園内の花壇や洋館の周りなどに3,000本のアジサイを植え、同年5月末再び「あじさい祭り」を行いました。最近も季節になるとグラバー邸前の庭園を中心に美しい花を咲かせています。
(5)
(8)
稲佐山自然公園(6)飽の浦公園(7)神の島公園
香焼総合公園(9)西山ダム下流公園
  規模はいろいろですが、それぞれにアジサイの植栽が行われています。特に神の島公園では約1万本のアジサイが見事な花を開き、地元の人たちによってアジサイ祭りも行われています。また香焼総合公園には「アジサイ園」も設けられています。
(10) その他
  今年は5月20日(土)〜6月11日(日)に「ながさき紫陽花(あじさい)まつり」が行われ、グラバー園、出島、中島川公園、シーボルト宅跡など市内の施設をアジサイで彩っています。
市みどりの課では、「紫陽花まつり」の飾り付けに使った1万数千本を、市内各所に植栽するそうです。

【アジサイ観賞ポイントマップ】


*アジサイをモチーフにした歌

長崎の歌にはアジサイと雨をモチーフにした歌は数多くあります。
ここではバックナンバー「雨にちなむ歌(1)」「雨にちなむ歌(2)」で紹介できなかった歌の中から数曲を取り上げます。


グラバー園の庭園を彩るアジサイ


神の島公園に咲くアジサイ


1.「長崎霧情」
(昭和52年=1977、星野哲郎・作詞、新井利昌・作曲、瀬川瑛子・歌)


昭和45年に「長崎の夜はむらさき」を出してスポットを浴びた瀬川映子(せがわ・えいこ)さんが瑛子の名で、7年後にむらさき色のアジサイを歌いました。作曲は「長崎の夜はむらさき」と同じ新井利昌。
「…むらさき」以来ヒットに恵まれなかった瀬川さんが長崎もので再起を目指し、オランダ屋敷のアジサイが黄色くなるまで恋人を待ち続ける女の悲しみを歌いましたが、大ヒットとはならず、“二匹目のドジョウ”にはならなかったようです。


「長崎霧情」のレコード表紙


2.「紫陽花(あじさい)の花が好きになりました」
(昭和54年=1979、山下明美・原詞、寺井一通・作詞、作曲、歌)


寺井一通(てらい・かずみち)さんは長崎で活躍するシンガーソングライターです。最初は東京でシャンソンを中心に音楽活動をしていましたが、51年長崎に戻り、原爆、えん罪、公害、普賢岳災害に苦しむ人たちを勇気づける歌を作っているほか、毎月9日を「長崎うたの日」として原爆・平和の歌を中心にコンサートを開いています。
最近は県内各地の人々が参加したCDアルバム「長・崎・歌・百・景」シリーズを制作するなど歌活動を続けています。
「紫陽花の花が好きになりました」は東京で活躍中に発表した作品で、「ながさき旅情」とカップリングしてレコード・デビューしました。作詞の山下明美さんは寺井さんが立ち上げた“歌う会”のメンバーの1人でした。恋人を思いながら作詞した作品で、その後2人は結婚、長崎で幸せな人生を送っているそうです。

シーボルト宅跡の胸像の前に咲くアジサイ


3.「長崎小夜曲〜NAGASAKI-CITY-SERENADE」
(昭和57年=1982、さだまさし・作詞、作曲、歌)


演歌時代の長崎の歌は、恋に破れ、未練にむせび、彼の面影を追いながらたどり着いた町は長崎。そこで聴く鐘の音と人情に触れて癒される…というパターンが主流になっています。
“ため息は改札口に預けておいで”“悲しみはいつかアジサイのように、おだやかに色を変えてゆくはず…”この歌は、長崎をこよなく愛する、さだまさしさんらしい優しさが全編に漂っています。


「長崎小夜曲」のレコード表紙


4.「あじさい慕情」
(昭和59年=1984、高島千絵・作詞、荒井英一・作曲、水島純・歌)


作詞の高島千絵さんは地元長崎の人。女学校時代に被爆、人生の苦労を重ねてきた経験を基に、苦労、別れ、悲恋、根性などをテーマに数多くの作品を書いてきたそうです。この歌はその中から選び抜いたもので、悲恋に泣いた女心を歌う演歌。
長崎市観光協会が推薦、観光協会の30周年パーティーでも紹介され、長崎を中心に人気を集めました。


「あじさい慕情」のレコード表紙


5.「六月の午後」
(平成9年=1997、寺井一通・作詞、作曲、歌)


平成8年1月から毎月9日を「ながさき・うたの日」として、ミニコンサートを開いている寺井一道さんが、翌9年に出したCDアルバム「メッセージ〜長崎の街から」に収録した15曲の中の1曲です。
雨がしとしとと降り続く静かな6月の、ある日の昼下がり、遠くから届く汽笛の音を聴きながら自宅でまとめた作品だそうで、雨とアジサイがかもし出すしっとりとした長崎の情景です。

「ながさき うたの日」コンサートで
熱唱する寺井一通さん

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