文・宮川密義

長崎くんちは今から376年前の寛永3年(1626)9月9日(陰暦)に始まり、8年後の寛永11年に踊りが奉納されるようになりました。
その長崎くんちを歌ったものは、「くんち」「竜踊り」などを題名にしたものが7曲、歌詞に取り込んだ歌はほかに十数曲ありますが、ここではその中から話題になったものを紹介します。

1.「長崎の御宮日(おくんち)祭り」
(昭和30年=1955年、大月美夜詩・作詞、中尾正・作曲、小野京子・歌)




「おくんち」を「御宮日」と漢字で書いていますが、長崎でも最初のころは「宮日」とか「供日」の当て字を書いていました。
その後、ていねいに「お」を付けて「おくんち」と仮名で書くようになり、今では「くんち」が正式の呼称になっています。
この歌は囃子で「ドーイドーイ」とか「ヨイヤー」と歌っています。
「ドーイドーイ」は精霊流し、「ヨイヤー」は凧(はた)揚げの掛け声で、長崎の人には違和感はありますが、小野京子の美声で長崎くんちのPRには役立ったようです。


2.「おくんち太鼓」
(昭和39年=1964、石本美由起・作詞、上原げんと・作曲、草野士郎・歌)




作詞したのは、デビュー作「長崎のザボン売り」の大ヒットで知られる石本美由起(いしもとみゆき)さん。
石本さんは長崎の歌を26曲作詞していますが、「長崎くんち」は長年、書きたいと願っていたテーマだったそうです。
そして、“日本のカーニバル”をねらってダイナミックな歌に書き、上原げんとさんの曲も太鼓のリズムを前面に出した勇壮なものになりました。
その勇壮さは、実際の長崎くんちとは、やや趣が違ったものになりましたが、県外の人の“くんち観”としてみれば参考になるようです。


3.「くんち長崎」
(平成6年=1994、久保裕基・作詞、中山治美・作曲、長崎三郎・歌)




生っ粋の長崎っ子が歌った、唯一の長崎くんちの歌。
作詞の久保裕基(くぼゆうき)さんは松浦市の人。
作曲の中山治美(なかやまはるみ)さんは長崎の作曲家でした。
歌う長崎三郎(ながさきさぶろう)さんは長崎市内でカレーショップを開いている人です。
3人とも長崎くんちが好きで、その熱い思いが込められて勇壮な歌となりました。
長崎くんちの前夜祭“裏ぐんち”で歌い、盛り上げたこともあります。
平成10年には「長崎くんち祭り唄」とタイトルを替えて吹き込み直して、全国盤で出ました。


4.「長崎の龍踊り(じゃおどり)ばやし」
(昭和39年=1964、島内八郎・作詞、木野普見雄・作曲、つくば兄弟・歌)




長崎くんちの出し物でも全国的に有名なのが龍踊りで、その歌も数曲出ていますが、この歌はそれらを代表するものです。
レコード会社が長崎龍踊りの歌のレコードを作ることになり、長崎の歌人・島内八郎(しまうちはちろう)さんに作詞を、市の議会事務局長で作曲も手掛けていた木野普見雄(きのふみお)さんに作曲を依頼しました。
実は、その2年前の昭和37年(1962)に出た「長崎蛇(じゃ)おどり」(横井弘・作詞、細川潤一・作曲、小宮恵子・歌)が“へび踊り”と歌っていたため、地元では苦々しく思う人が多かったようです。

しかし、「長崎龍踊りばやし」はさすが地元の人による作品だけに、詞、曲とも龍踊りの様子が手に取るように分かる歌になっています。
なお、「龍踊り」は、以前は「蛇」の字を使っていましたが、県外の人が「へびおどり」と読んだり、「ヘビ使い」の一行と勘違いする人がいたりしたため、昭和30年(1955)ごろ、長崎市観光課や郷土史家が集まって論議して、「龍踊り」と書いて「じゃ」と振り仮名を付けるようになったいきさつがあります。


5.「こっこでしょ」
(昭和56年=1981、浜田良美・作詞、作曲)




コッコデショも長崎くんちの呼び物の一つです。
江戸時代に大坂・堺(さかい)の船頭たちが樺島町に伝えた「堺壇尻(さかいだんじり)」が長崎らしく変化して「コッコデショ」となりました。
五色の蒲団を積んだ屋根を「太鼓山(たいこやま)」。
太鼓を叩く子供衆を乗せた山車(だし)を、担ぎ手が掛け声と共に空に放り上げ、手でさっと受け止めます。
その勇壮さに感動した若者がいました。
長崎大学出身の浜田良美(はまだよしみ)さん。

在学中、ロックグループ「ナッツ」のリーダーとして活躍。
多くの大会で入賞を重ね、第5回世界歌謡祭ではグランプリと歌唱賞に輝きました。
そして49年(1974)にレコードデビューしましたが、この「こっこでしょ」は、長崎にいた頃に感動したコッコデショの勇壮なリズム、迫力をロックに取り入れたものです。


6.「長崎万歳(ばんざい)
(平成8年=1996、松原一成・作詞、大鋳武則・作曲、ZINM・歌)




大鋳武則さん(平成7年12月没)をリーダーに、長崎の音楽にこだわり続けてきた音楽グループ、ZINM(ジンム)の作品です。
平成5年(1993)の長崎くんちで、万才町の本踊りにこの歌を取り入れて歌いました。
長崎の伝統行事に新しい音楽で参加するのは初めてのケースで注目されましたが、新しい感覚で分かり
やすく楽しく表現して盛り上げ、大好評でした。



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