長崎の町は昭和30年代以降、高度成長期を経て、国内でも有数の観光地として発展してきました。その目玉的観光スポットとなってきたのが外国人居留地跡に現存する「オランダ坂」です。これまで長崎を訪れた多くの人のアルバムには、すでにオランダ坂で映った1枚がおさめられているのではないでしょうか。幾多の海外交流の歴史の上に成り立っている長崎は、町が形成された南蛮貿易時代のポルトガル、鎖国時代のオランダや中国、そして安政の開国以降、ヨーロッパやアメリカ、アジア諸国などから移住してきた人々が持ち込んだ文化が折り重なるように存在。それが“異国情緒豊かな町”と表現される由縁です。前回のシャッターチャンス@長崎vol.18では、〈丸山オランダ坂〉を紹介しましたが、『長崎古今集覧(文化八年版)』丸山町尾崎口(丸山の裏手辺り)の項に〈紅毛坂〉という記述があることから、名称としてはこちらが元祖だという説もあります。では、「オランダ坂」も鎖国時代のオランダ人と縁深い坂なの? という人、答えは不正解です。現在、「オランダ坂」として親しまれている坂道は、安政の開国以降に移住したキリスト教徒、プロテスタント信者やカトリック信者に関わりを持つ坂道なのです。開国当時、それまでの約300年に渡るオランダ人との密接な関係から、長崎の人々は幕末開港後も、外国人を見ると、“オランダ人”“オランダさん”と呼んでいました。つまり、当時は外国人が通る坂道はすべて“オランダ坂”と呼ばれていたのです。居留地を造成する際、外国人たちは「教会へ通じる1本は完全に舗装し、山手のあらゆる坂道は同様に割り石を敷くこと」を要求しました。教会とは、「オランダ坂」を上りあがったところに建てられた日本最古のプロテスタントの教会「英国国教会」です。彼らが求めたのは、馬車や人力車など車輪を持つ交通機関の通行に適した祖国のような道路、石畳でした。かくして名所「オランダ坂」は誕生したのです。
それでは、そんな「オランダ坂」界隈で写真に収めたくなる外国人居留地風情を探してみましょう。
長崎市電、市民病院前電停近く、かつて運上所があった辺りから東山手方面へ入ると、うっそうとした木々に覆われた独特の雰囲気。江戸後期、居留地造成の際に切り開かれた石畳の坂道です。当時の道幅は今の3分の1ほどしかなかったといいます。ここからの急な坂道をのぼると、かつて小高い山であった地に道を切り開いたことが想像でき、ワクワクした気持ちを駆り立ててくれます。特に雨に濡れた石畳は異国情緒漂う景観で、『雨のオランダ坂』など、流行歌にも唄われました。道途中、周囲の木々と一緒に一枚いかがですか?
この坂を上りきり、「オランダ坂」と刻まれた石碑脇から活水女子大学、東山手十二番館へ。昨年放映された福山雅治さんのテレビCMのロケ地として話題を呼んだこの坂道は、坂の町、長崎に暮らす人々にとっては原風景のひとつと言えるでしょう。石碑横の旧フランス領事館としても利用された、東山手甲十三番館をはじめ、周囲の洋館群との景観は、異国情緒、長崎情緒と呼ばれる象徴的風景です。
一方、大浦天主堂石橋電停から東山手へ向かう坂は、傾斜約15度。レンガ塀と「オランダ坂」が生む独特な景観は、人気のシャッターポイントです。
開国後に訪れた外国人宣教師が初めて東山手の丘に建立したプロテスタントの教会「英国国教会」へ続く道筋は、日曜のミサの旅に多くの外国人が通っていたに違いありません。この石畳の坂道は、数ある「オランダ坂」の中でも特に庶民が住むエリアから程近く、“オランダさんが通る坂”という意味で呼び親しまれ後世に残ったのかもしれませんね。ぜひ、この界隈、石畳に注目しながら歩き、あなただけのベストショットを撮影してみてください。
【長崎市東山手町】