長崎市消防局から電車通り(魚の町)へ向かう坂。江戸時代、長崎には九州諸藩の蔵屋敷があったが、この坂を挟んだ両側には長州屋敷(現・自治会館)と、小倉屋敷(現・長崎食糧事務所)があったのだという。宮本武蔵と佐々木巌流(通称・小次郎)の決闘地として知られる厳流島が長州下関と豊前小倉の間にあったことからこの名前が付いたのだろうが、時は流れ、現在このように呼ぶ人はほとんどいないようだ。
●大音寺坂(けんか坂)(だいおんじざか・けんかざか/万才町) 傾斜 約20度 認知度 ★★ 分類 階段(石段)
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