文・宮川密義

長崎の雨を歌ったものは、タイトルの上では45曲程度ですが、ほかの歌にも歌詞の中には随所に雨が出ています。
歌われる雨は“こぬか雨”や“霧雨”のようなロマンチックなムードをたたえています。
しかし、実際に降る雨はそれほど多くはないようで、降り始めると集中雨的に降ることが多いといわれます。
昭和57年(1982)の長崎豪雨では1時間当たり 187ミリ(長与)にも及び、坂の町の地形も災いして多くの犠牲者を出しました。

歌の中で降る雨はどんな雨でしょうか。
まずはそのものズバリのタイトルの歌から…。


1.「長崎の雨はどんな雨」
(昭和50年、岡田冨美子・作詞、三木たかし・作曲、岡崎 徹・歌)




ここで歌われる雨は心を映すさまざまな形の雨でした。

歌った岡崎徹さんは長崎出身です。
長崎北高校を出た後、東京でファッションモデルをするうち、日活のニューフェースにスカウトされ、片岡義昌の芸名で映画やTVに出演しました。
連続テレビドラマ「白い牙」では刑事を演じ、子供向け「仮面ライダー」では「アマゾン」のヒーローでも人気を集めました。

歌手としても期待され、この歌は3枚目のレコードで発表したものでした。
しかし、昭和53年(1978)、ドラマ撮影中にオートバイが倒れて足にけがをしてしまい、療養中に体調も壊して引退しました。


「長崎の雨はどんな雨」のレコード

2.端唄「春雨」(弘3年=1845)




しっとりとした春雨は、梅の香りやウグイスを呼び、日本的な情緒をかもし出してくれます。
全国的に知られる端唄「春雨」は長崎・丸山生まれで、今でも名曲として歌い継がれています。

詳しくはバックナンバー「(3)春雨、浜節、長崎甚句」をご覧下さい。


3.「長崎の雨」(昭和26年、丘 灯至夫・作詞、古関裕而・作曲、藤山一郎・歌)




「長崎の鐘」から2年後の昭和26年(1951)に出ました。
「長崎の鐘」が社会派的な曲であるのに対し、こちらは長崎叙情をしんみりと歌上げたリリカルな曲です。

オランダ船などの外国船でにぎわったころの長崎港が舞台ですが、ピアノのイントロが雨の降る様子を美しく奏でていますし、歌詞もメロディーも「長崎の鐘」の続編ともいえそうな作品です。

古関メロディー“雨三部作”([1]東京の雨[2]長崎の雨[3]みどりの雨)の中でも、この歌はのど自慢でもよく歌われ、親しまれました。

これを歌った藤山一郎さんは生前「戦前から長崎には仕事やゴルフでよく行っていますが、まだ一度も雨に降られたことがありません。
だからこれを歌うときは、雨にけぶる浦上天主堂や港を想像することにしています」と語っていたそうです。


歌のムードをかもしだす観光スポット、雨のオランダ坂(東山手)

4.「雨のオランダ坂」(昭和22年、菊田一夫・作詞、古関裕而・作曲、渡辺はま子・歌)




終戦後まもない昭和22年(1947)、長崎ロケも取り入れて作られた映画「地獄の顔」はギャング映画で、水島道太郎、月丘夢路、千秋姉妹の出演で話題を集めました。

「地獄の顔」には4つの挿入歌が付きました。
ディック・ミネさんの「長崎エレジー」と「夜霧のブルース」、伊藤久男さんの「夜更けの街」、それにこの「雨のオランダ坂」でしたが、渡辺はま子さんが歌った「雨のオランダ坂」が最もヒットしました。
「長崎エレジー」では、こぬか雨や涙の雨、「夜霧のブルース」には霧が降る程度ですが、この「雨のオランダ坂」には雨らしい雨が降っています。
「雨のオランダ坂」を作詞した菊田一夫さんは劇作家で、自伝小説「がしんたれ」やNHKラジオの連続ドラマ「君の名は」で知られます。
小学生のときの約半年。
南高加津佐町に住んだことがあり、加津佐には「がしんたれ」の詩碑が建っています。


「雨のオランダ坂」の楽譜表紙

5.「雨の長崎」(昭和27年、阪口 淳・作詞、吉田 正・作曲、渡辺はま子・歌)




前記「長崎の雨」に似た時代の長崎が舞台です。
異国に帰る恋人との別れの悲しさを雨にのせて描写しています。
歌う渡辺はま子さんは中国での抑留生活を終えて帰国後、第1回吹き込みが前項の「雨のオランダ坂」でした。
「雨のオランダ坂」以後はしばらくヒットが出なかったようですが、3年後、「シスコ桑港のチャイナタウン」で再びスターの座に帰り咲き、昭和27年(1952)に、この「雨の長崎」となりました。


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