文・宮川密義


慶長5年(1600年)、オランダ船「デ・リーフデ号」が豊後臼杵に漂着して以来、400年を超える交流が続きました。日蘭交流400周年の平成12年(2000年)には、長崎を中心に数々の記念イベントが展開されました。
オランダの文化は中国文化とともに、長崎市民の生活に浸透して、様々な面に影響を与えています。
長崎の秋祭り「くんち」の出し物の一つには「阿蘭陀萬歳(おらんだまんざい)」があり、わらべ歌には“あっかとばい 金巾(かなきん)ばい オランダさんからもろたとばい”の「あっかとばい」や北原白秋・作詞、山田耕筰(こうさく)・作曲の童謡「阿蘭陀船(おらんだぶね)」(ともにバックナンバー5「わらべ唄」参照)などが早くから歌われています。
流行歌には「雨のオランダ坂」(バックナンバー8「雨にちなむ歌[1]」参照)など多くのヒット曲があり、1,600曲近くある長崎の歌の大部分に“オランダ”が取り入れられているほどです。
今回はその中から、これまでに取り上げなかったヒット曲、話題曲などを年代順に紹介していきます。




古版画に描かれた
オランダ女性



1.「オランダ娘」
(昭和15年=1940、佐伯龍・作詞、陸奥明・作曲、服部富子・歌)


出島のオランダ屋敷で故国オランダを偲ぶ娘さん。花のスカートを着てはいるものの、外出もままならぬ屋敷の中、独り手風琴(てふうきん、アコーディオン)を弾きながら過ごす寂しさを描写しています。
歌う服部富子は作曲家・服部良一の妹。昭和13年のデビュー作「満洲娘」が大ヒット、14年に「愛国娘」、15年には「銀座娘」と「オランダ娘」、16年には「北京娘」「南京娘」と“娘シリーズ”を歌いました。
この「オランダ娘」も「満洲娘」の流れを受け継いでおり、どことなく中国ムードのするメロディー・パターンです。



2.「夢のオランダ船」
(昭和16年=1941、矢島寵児(やじまちょうじ)・作詞、利根一郎・作曲、 如月(きさらぎ)俊夫・歌)


「オランダ娘」の影響でしょうか、翌16年には「おらんだ草紙」(野村俊夫・作詞、古関裕而・作曲、霧島昇・歌)と、この「夢のオランダ船」が出ています。
「おらんだ草紙」の歌詞は「花の長崎おらんだ船の、紅い揚げ帆も懐かしや」「咲いた椿にサンタマリヤの鐘が鳴る…」と、古風な描写であり、この「夢のオランダ船」も緊迫した時局は感じさせない歌です。
昭和15〜16年は「戦陣訓の歌」や「そうだその意気」など、国民の心を戦争に駆り立てようとする歌が相次ぎましたが、海外侵攻を目指す国策は、異国情緒たっぷりの長崎の歌は大目に見て、むしろ、歌を通じて国民の目を海外に向けさせようとする意図があったのかもしれません。



3.「おらんだ船」
(昭和24年=1949、丘十四夫(おかとしお)・作詞、原六朗・作曲、渡辺はま子・歌)


戦後すぐ「雨のオランダ坂」(昭和21年)をヒットさせた後、「じゃがたら船」(22年)、「島原のあねしゃま」(24年)と、長崎を歌い続けていた渡辺はま子が、軽快な長崎の歌に挑戦、長崎に入港するオランダ船をエキゾチックに歌っています。
この年「長崎の鐘」(バックナンバー10「原爆・平和の歌」参照)が大ヒットして、敬けんな祈りの歌や緩やかなテンポの曲が多かった長崎ものの中で、強いリズムで刻む原六朗の曲は新鮮に聞こえたものです。



「おらんだ船」の
レコード・レーベル



4.「おらんだ絵巻」
(昭和25年=1950、吉川静夫・作詞、吉田正・作曲、暁テル子・歌)


歌う暁テル子は昭和24年に「南の恋歌」でデビュー、25年「東京カチンカ娘」のヒットで知られ、同年の「リオのポポ売り」の後、26年の「ミネソタの卵売り」で人気が出ました。この「おらんだ絵巻」は人気上昇中に吹き込んだ歌です。
ヒット曲「ミネソタの卵売り」などに似た軽快でエキゾチックな歌。
ザボンの花咲くオランダ館で、銀のクルスを手に踏絵の昔を偲ぶ長崎娘の悲しみを歌っています。



5.「オランダ坂の夜は更けて」
(昭和25年、石本美由起・作詞、上原げんと・作曲、後藤良子・歌)



「長崎のザボン売り」(23年)の大ヒットを受けて、“ザボン娘”ならぬ“花売り娘”で勝負に出た「長崎の花売娘」の片面に入った歌です。
作詞は「長崎のザボン売り」で大ヒットを飛ばした石本美由起。
オランダ坂は東山手の活水大学下の切り通しの坂が有名ですが、その坂の登り口を右に歩いて、路面電車の石橋停留所に通じる誠孝院(じょうこういん)前の坂もオランダ坂。さらに、思案橋を正覚寺方向に歩く道の途中、丸山町に通じる細い階段もオランダ坂と呼ばれています。
長崎には幕末の開国で居留地が出来、洋館が建てられて以来、東洋人を除く外国人をすべて“オランダさん”と呼んで親しみ、外国人が歩く坂は“オランダ坂”となったわけです。
オランダ坂にこぬか雨が降ると長崎情緒はひとしお。そこに街灯がともれば濡れた石畳が光り、エキゾチックムードは満点。独りで歩いてもよし、二人で腕を組めばなおさら、夜が更けるのも忘れてしまうというしだい。長崎の歌の素材に雨とオランダ坂が多く取り入れられるわけです。


雨の日のオランダ坂(東山手)


「オランダ坂の夜は更けて」の
レコード・レーベル



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