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明治時代初期、長崎では日本人のカトリック信者が増え、教会の必要性が高まっていたことから、1897年に国内外の寄付で西中町天主堂(現:中町教会)が建てられました。それから約50年、爆心地から2.6km付近にあった天主堂は、原爆による爆風とその後の火災で、正面の塔と外壁を残して焼失。神父1名が犠牲となりました。
信者は家族や家、心の拠り所である教会をも失い、心身共に困窮しましたが、翌年の12月には仮聖堂を建立。その後、焼け残った壁などを再利用するなどして、1951年に現在の教会が完成しました。

4つのアンゼラスの鐘は当時のもので、塔を壊さなければ取り出せなかったため、戦時中の金属類の回収を免れました。
長崎駅から桜町通りを市役所方面に進むと、建物の間から白壁の美しいカトリック中町教会が見えます。利用者に配慮の上、見学してください。また、保育園への立ち入りは控えてください。