本文
長崎の歴史や文化を伝える貴重な資料がどのように受け継がれてきたのかを知っていますか。今回はそのひとつを紹介します。
明治維新後、江戸時代の公文書や個人が持つ古記録など、長崎に関する資料が散り散りになってしまう事態となりました。このことに危機感を持った人々が立ち上がり、行動を起こします。
長崎区長だった金井俊行は、長崎の古文書を収集、筆写するとともに、長崎の通史を編年体で記した『長崎年表』などを発刊しました。安中半三郎と香月薫平は、収集した資料を収める文庫を創設することが必要だと考え、明治26年9月12日付の『鎮西日報』(長崎の地元新聞)に長崎に図書館が必要であることを訴える趣意書を掲載します。その結果、長崎県知事や長崎市長をはじめ、地域の名士が創設委員となって明治27年5月2日に新橋町(現在の諏訪町)に「長崎文庫」を設置し、後に市民も利用できるように公開しました。
長崎文庫の資料はその後、明治45年に開館した長崎県立長崎図書館に寄贈されます。初代館長だった永山時英は、県庁にあった奉行所時代の記録が紙くず屋に流れていることを知り、残る資料を同館に移しました。また、長崎学を確立したといわれる古賀十二郎も、長崎奉行所の判決記録である犯科帳2冊を入手し、同館に寄贈しています。このような先人たちのたゆまぬ努力と熱い思いにより、長崎の資料は今に受け継がれているのです。
12月18日(木曜日)から2月15日(日曜日)まで、長崎市長崎学研究所開所10周年記念企画展として「長崎学のあゆみ~長崎の資料を守り伝えた施設と人々~」を長崎歴史文化博物館で開催します。長崎学に興味を持ったかたは、ぜひご来館ください。

↑長崎県立長崎図書館絵葉書(個人蔵)
長崎学研究所 学芸員 入江