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「私は城山校の窓から見た。この眼で見た。町が、学校が、炎々ともえつづいて行く不気味なほのおを、うみなりのような昇天する人々の声を。」(原文ママ)これは、爆心地から約500mにあった城山国民学校(現・城山小学校)で被爆した、故・江頭千代子さんの証言です。被爆後、生き残った先生たちは、雨の日には風邪を心配し、寒い日には手を握って温めながら、授業を再開。家族や家を失くしたこどもの心の拠り所となりました。惨状を乗り越え復興をとげた城山小学校からは、平和の願いが伝え続けられています。
被爆校舎には、被爆直後の写真をはじめ、遺品や当時の校舎の模型などを展示し、一般公開しています。
爆心地からおよそ500mの地点に位置しています。原爆により大きな被害を受けた校舎の一部が、「長崎原爆遺跡」(国指定史跡)として現在も保存・活用されています。
場所 城山町23−1