本文

戦争中、立山の地下壕には、空襲などへの対策を行っていた県防空本部が置かれていました。投下されたのが原子爆弾であることなどの事実を現在の私たちは当たり前のように知っていますが、当時は被害状況も分からず大混乱でした。被爆直後、警察幹部と県知事との間で次のようなやり取りがあったことが記録に残っています。「これはどうも広島と同じ新型爆弾かもしれない」「新型爆弾なら地上のものはみな吹き飛んでしまうはずだ」 ここでは、こうした混乱の中、現場からの報告を受けながら国への被害報告、救援救護要請などが行われました。

地下壕から爆心地方面には、熱線や爆風を遮った金比羅山があります。
「歴史文化博物館」バス停で下車し、徒歩5分のところにあります。見学は無料です。当時、地下壕にいた人の証言の解説パネルや、地下壕で発見された救護用電話の部品などを展示しています。