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小島養生所等の遺跡と仁田佐古小学校の共存


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ページID:0004023 更新日:2025年3月1日更新 印刷ページ表示

 長崎(小島)養生所は、日本最初の西洋式近代病院であり、併設された医学所や、分析究理所を含む精得館と呼ばれた施設が、日本における西洋医学教育発祥の地として歴史的に果たした役割は大きく、長崎市歴史文化基本構想においても、「近代文化の黎明」に関する主要な歴史文化遺産として位置づけています。
 長崎(小島)養生所等があった場所は、現在の仁田佐古小学校(旧佐古小学校敷地)であったため、校舎等の建設時に準備作業として遺跡の発掘調査を行った結果、建物の基礎や石垣等の埋蔵文化財が発掘されました。
 仁田佐古小学校は小規模化と校舎の老朽化が進んでいた旧仁田小学校と旧佐古小学校を統合し、平成28年4月に開校しました。
 統合当初、旧仁田小学校と旧佐古小学校どちらも校舎等の老朽化が進んでいたことから、新校舎等建設前の仮校舎として旧仁田小学校を使用し、旧佐古小学校跡地において新校舎等の建設を進め、令和2年2月から新校舎での学校運営を開始しています。

遺跡と学校の共存について

 長崎市にとって、遺跡の保存と学校建設はどちらも重要な課題であったため、現在の仁田佐古小学校(旧佐古小学校跡地)の校舎等建設時に、遺跡の保存等を目的とした展示室を併設することで、遺跡と学校の共存を図ることとしました。
 現在、展示室では、遺構や資料などを展示していて、貴重な情報を広く発信して、その歴史と価値を伝えています。​

 遺構の保存と学校建設に対する長崎市の考え方(PDFファイル/162KB)

※共存後のイメージ・・・サント・ドミンゴ教会

なぜ、遺構の一部のみを公開し、残りは埋めてしまったのでしょうか?

 埋蔵文化財は、基本的に土地に埋蔵された状態で保存されてきたものです。石垣など、もともと地上に露出していたものは別として、建物基礎など元々地中にあった遺構については、地中から掘り出し露出することで風化し劣化が進むものもあることから、元の状態に埋め戻すことが最適な保存方法とされているためです。

校舎の建設地を別の場所にできなかったのでしょうか?

 3つの敷地に分割されている旧仁田小学校よりも敷地がまとまっている旧佐古小学校の方が、子どもたちにとってより良い教育環境を整備することができるものと判断し、校舎建設の適地を旧佐古小学校跡地に決定しています。
 また、校舎の建設地については、地域の皆さまと6年間の協議を重ねて決定してきた経緯があります。

遺構を壊さないように学校の建設はできますか?

 体育館側敷地に比較的良好な状態で残っていた小島養生所に関する遺構については、埋蔵文化財の最適な保存方法とされる埋め戻しによる保存を基本としますが、一部の遺構は体育館に併設する展示室で露出展示することで、全て現状のまま保存しています。
 また、校舎・グラウンド側敷地に残っていた分析究理所等に関する遺構については、埋め戻しによる現状保存を基本としますが、校舎等建設の支障となる部分は、精度の高い記録を取ったうえで移設させ、他の場所での保存・活用に努めています。

 その他のQ&Aはこちらからご覧ください。(PDFファイル/129KB)

地元等からの意見

 建設前には、校舎の老朽化が進んでいることなどから「遺構と学校の共存共栄を検討しつつ、予定通り学校建設を進めてほしい」 との意見や、「遺構の完全保存と、新校舎は旧仁田小学校に建設してほしい」といった意見がありました。

 また、建設前に仁田佐古小学校児童の全保護者を対象にしたアンケート結果では、保護者全体の9割近い方々からの回答を得ており、8割近くの方々が新校舎と遺構を併存したかたちで、計画通りの学校建設を望んでいました。

発掘調査で出てきた遺構とその取扱い

 旧佐古小学校の体育館側敷地における小島養生所の遺構と校舎・グラウンド側敷地における分析究理所等の遺構については、平成29年9月末までに旧佐古小学校敷地の全面的な発掘調査を終えており、小島養生所と分析究理所等に関する残存遺構は全て検出しています。
 発掘調査の結果は次のとおりです。

体育館側(小島養生所があった場所)

 小島養生所の基礎である石垣や玉砂利などの遺構が比較的良好な状態で残されていました。この遺構については、すでに長崎市の史跡に指定しています。

小島養生所石垣
石垣

小島養生所玉砂利
玉砂利

⇒ 埋蔵文化財の最適な保存方法とされる埋め戻しによる保存を基本としますが、一部の遺構は体育館に併設する展示室で露出展示することで、全て現状のまま保存しています。
平面化プラン

校舎・グラウンド側(分析究理所などがあった場所)

 過去の土地掘削などにより、遺構は大きく破壊されていましたが、分析究理所敷地の石垣や石段、建物の基礎石等が残されていました。この敷地については、埋蔵文化財包蔵地(文化財が埋まっていることを示す土地)として広く周知することとしています。

分析究理所建物の礎石と雨落ち溝
礎石

分析究理所石段・敷地の石垣​
石段

⇒ ここで出土した遺構は、埋め戻しにより現状のまま保存することを基本としますが、校舎等建設の支障となる部分は、精度の高い記録をとったうえで移設させることとしました。
 移設する部分については、埋め戻した部分の複製と合わせて、元の姿が感じられるように敷地内で再現し、保存・活用を図りました。

移設前

移設(案)

遺構配置図

A 分析究理所敷地の石垣(西側)(PDFファイル/60KB)
B 分析究理所敷地の石垣(北側)(PDFファイル/52KB)
C 分析究理所建物の礎石と雨落ち溝(PDFファイル/58KB)
D 分析究理所石段・敷地の石垣(PDFファイル/46KB)
E 分析究理所敷地の石垣(PDFファイル/69KB)
F 分析究理所敷地の石垣(PDFファイル/61KB)
G 小島養生所石垣(PDFファイル/45KB)
H 小島養生所瓦敷(PDFファイル/65KB)
I 小島養生所玉砂利(PDFファイル/52KB)
J 小島養生所玉砂利(PDFファイル/55KB)
K 小島養生所玉砂利(PDFファイル/63KB)
L 小島養生所玉砂利(PDFファイル/52KB)
M 小島養生所玉砂利(PDFファイル/62KB)
N 小島養生所石垣(PDFファイル/55KB)
O 小島養生所石垣(PDFファイル/51KB)

長崎(小島)養生所跡等

 長崎(小島)養生所跡は1861年(文久元年)、幕府の招きにより医学教育を行ったオランダ人医師ポンペらの尽力により、日本初の西洋式近代病院として開院。4年後の1865年(慶応元年)に分析究理所が新設されました。
 長崎(小島)養生所等があった場所は、現在の仁田佐古小学校敷地(旧佐古小学校敷地)であるため、新校舎を建設する準備作業として、これまで土の中に埋まっていた遺構の発掘調査を行いました。

問い合わせ先

 ※文化財に関するお問い合わせ・・・ 文化観光部 文化財課 まで
 ※学校建設に関するお問い合わせ・・・ 教育委員会教育総務部 学校施設課 まで

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