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長崎県の民謡・歌謡史研究家 宮川 密義さん

ページID:0051844 更新日:2025年3月21日更新 印刷ページ表示

宮川さん

「古き良き長崎の歌の魅力を広める」挑戦

トライ年表

1952年
・新聞社に入社
1972年
・長崎新聞で「長崎県の歌謡史」を連載開始
・グレープの相談を受ける
1975年
・「出島ひろし」作詞開始
・NBCラジオに出演開始
2025年1月
・あぐりの丘に「長崎歌謡館」オープン

長崎の歌を多くの人に聴いてほしい

長崎の歌博士としてラジオ番組などに出演している宮川さん。元新聞記者で、現在は民謡・歌謡史の研究をしている御年91歳です。
戦後、「長崎のザボン売り」という曲が生まれてから、長崎のことを歌う曲が流行り始めました。昭和43年に「思案橋ブルース」、44年に「長崎は今日も雨だった」が誕生し、歌によって長崎は盛り上がりました。当時、宮川さんは長崎新聞で「長崎県の歌謡史」を連載していて、資料収集をしているうちに歌の魅力にはまったと言います。「出島ひろし」という名前で作詞もしていました。
宮川さんの思い入れのある曲は、さだまさしが結成したフォーク・デュオ「グレープ」の「紫陽花の詩」です。デビュー前のさださんからコンサートの開催を考えているという相談があり、歌を聞くと、長崎の情緒あふれる歌詞に感銘を受けたそう。そこで、彼らを新聞で紹介しました。その後、一躍有名となった彼らを、長崎の誇りだとうれしそうに語ります。
新聞社を退職後は、講演やラジオ出演の依頼が後を絶たず忙しい日々を送ったと言います。宮川さんが半世紀にわたって収集してきたレコードやCDは、あぐりの丘に今年オープンした長崎歌謡館に所蔵されています。レコードやCDは聞かれてこそ価値があると考え、現物に触れたり、聴いたりできるようにしたそう。長崎歌謡館にはレコードのほか、新聞記事のスクラップなど合わせて1万点以上が展示されています。ぜひ訪れてみてください。

長崎歌謡館

「挑戦」に不可欠なものは?

歌詞は1つ1つに意味があって、歌を聴くと情景が浮かんで、当時の様子が分かると言います。長崎歌謡館で歌詞カードを見ながらレコードやCDを聴いて、長崎の歴史に思いをはせてみてはいかがでしょうか。

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