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高島秋帆旧宅


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ページID:0001062 更新日:2024年11月11日更新 印刷ページ表示

高島秋帆旧宅

(たかしましゅうはんきゅうたく)

国指定史跡

高島秋帆旧宅

指定年月日 大正11年10月12日

所在地 長崎市東小島町5番38号

秋帆の父、町年寄高島四郎兵衛茂紀(たかしましろうべえしげのり)が文化3年(1806)現在地に別邸を建て、雨声楼(うせいろう)・齢松軒(れいしょうけん)等と呼ばれた。
秋帆は父の没後町年寄を継ぎ、また長崎表御取締(ながさきおもておとりしまり)も命じられていた。天保9年(1838)の大火で、大村町(現在の万才町)の高島邸が類焼したので、以後この別邸が使われた。秋帆は荻野(おぎの)流砲術を父に学び、オランダから銃砲を購入し、併せて西洋砲術を研究し、わが国兵制改革の急務を幕府に上申した。天保12年(1841)5月武州徳丸原(現在の東京都板橋区高島平))で洋式の訓練を実施し、幕府から褒賞を受けたが、天保13年無実の罪で捕えられ、12年後釈放された。国防に尽したが、慶応2年(1866)68才で没。雨声楼は原爆で大破し破却された。

備考

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路面電車「崇福寺」、バス「崇福寺入口」下車徒歩5分