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長崎市内唯一の水族館には「長崎ペンギン水族館」と名前が付けられています。
どうして長崎にはペンギンがこんなにたくさんいるのでしょうか。
結論を急ぐと、南極海にクジラを捕りに行っていた長崎の捕鯨船が、ペンギンを連れて帰ってきていたから、となります。
長崎県内は江戸時代から捕鯨が盛んで、東彼杵(ひがしそのぎ)は捕獲したクジラの解体と各地への輸送基地として栄えていました。地理的にも近い長崎では、高級な部位を鮮度の高いうちに食べることができたことから、クジラはおいしい食材として鯨食文化が発達し、現代でもおめでたい席などでクジラを食べる風習が続いています。かく言う関東出身の筆者も、クジラは長崎に来て初めてその味を知ったものです。
(あの脂が乗ったお刺身、おいしかった!)
話が逸れてしまいました。
戦後、日本で捕鯨が再開されたのは終戦直後の昭和21年(1946)のこと。食糧難解消のため、GHQが南極海(南氷洋)での捕鯨を許可したためでした。捕鯨のために、遠洋に耐えられる大型船の準備が急ピッチで進められ、長崎からは三菱長崎造船所で仕立てられた捕鯨船団が、人々の期待を背負い、同年11月に華々しく出航しました。
昭和34年(1959)、捕鯨会社と、長崎水族館(長崎ペンギン水族館の前身)運営会社との間で調整がつき、4羽のペンギンがはじめて長崎にやってきました。このことを皮切りに、長崎には捕鯨船団によって、南極からペンギンが続々ともたらされるようになりました。また繁殖技術も確立されていき、長崎ペンギン水族館のペンギンは、長崎市民やペンギンファンに見守られながら、現在約170羽を数えるまでにいたっています。
捕鯨の文化、そして造船の文化が根付く長崎だからこそペンギンと縁が結ばれたと考えると、ペンギンも長崎らしさのひとつと感じられます。
さて、長崎とペンギンの関わりはこの時が初めてだったのでしょうか。
探してみると江戸時代にも両者をつなぐエピソードがありました。
次回に続きます。
(長崎市長崎学研究所 学芸員スターツ美来)

長崎水族館
昭和34年(1959)にオープンし、平成10年(1998)に閉館。
隣接地に規模を縮小して長崎ペンギン水族館としてリニューアルオープンしました。
画像『34-15 1971年長崎水族館』Open Photo 長崎市歳時記<外部リンク>2026年2月2日10時32分アクセス

キングペンギン「ぎん吉」の剥製(筆者撮影)
39年9ヵ月15日間という「世界最長飼育記録」を持つぎん吉も、昭和37年(1962)に捕鯨船に連れられてやってきました。

フンボルトペンギン(筆者撮影)
長崎とペンギンとフンボルト…ひょっとしてシーボルトと関係が!?とウキウキしながら調べてみると、名前の由来はフンボルト海流沿岸で暮らしていることから。そしてフンボルト海流の名前の由来は、アレクサンダー・フォン・フンボルトで、シーボルトとは全く無関係でした。
特徴は、胸に大きな黒い帯が一本入っていて、お腹には黒い斑点が散らばっていることだそう。
(長崎ペンギン水族館ホームページ<外部リンク>より)2026年3月6日10時32分アクセス