長崎人権学とは
生涯学習の重点学習領域である現代的課題(人権・同和問題)、長崎学(長崎の歴史)、健康づくり(ウォーキング)を統合し、部落差別をはじめとするあらゆる差別の解消に向けての学びの場として、講座(全4回)を開設しています。
令和7年度の様子です。
第1回 わたしたちのじんけん
- 本日はありがとうございました。「知っているようで、実は知らない」「浅くは知っているけれど、学んでいけば奥深い」“人権”について堅苦しくなく学ぶことができました。参加者の方からの“あいさつ”のお話も、はっとさせられ心に残りました。
- 何度か人権学にて学んできましたが、そのたびに考えさせられることばかりです。「私も大切、あなたも大切」この思いを常に持ち続け、皆に好かれる人生を送りたいです。
- 人権の理解がないと自分がしたことが相手を苦しめていることに気付かないのでは。子どもたちには早い時期から少しずつでも薄くても良いので、相手を思いやる心が育ってほしい。
第2回 平和を願って~長崎の未来を想う~

- 永井博士の「この子をのこして」「長崎の鐘」「ロザリオの鎖」などの本は3人の子どもたちと読んで過ごしました。「うちらの本箱」にも訪問しました。小さな優しい気持ちを家族や親しい友、そして、出会う方々に分けていきたいと改めて思いました。
- 永井館長が永井博士のお孫さんとは知りませんでしたので、気持ちが入りました。
- 「長崎の鐘」は「信者による信者に向けての慰めの言葉」と…。
- 永井隆氏の声と動画をみることができたのは貴重でした。
- 平和について考える時間がもてた。
- 永井博士のことをもう少し知りたいので、本を読みます。
- 永井博士のこと、平和のことを考えました。身近な平凡な日々の生活の中にある人間一人ひとりのやさしさ、人を思う気持ちこそ平和です。日々心にとめて生活したいと思いました。貴重なお話ありがとうございました。
- 永井隆博士は、長崎人なら知らない人はいない程の方ですが、今回のご講演の中でより身近に感じることができました。エピソードの楽しい話もうかがえながら永井先生の思いの深さも感じることができました。「こころやさしく いのちたいせつに ささえあい たすけあうきもち」をいつ、どんな時でも持ち続けられるか...という言葉が心に残りました。ありがとうございました。
- 話を聞くことはあまりなかったのですが、とても感動しました。自分もいざというときに人のことを先に考えることができるのかと考えさせられました。
- 永井館長の講演を初めてお聞きし感動しました。戦争がなかったら永井先生のご家族、日本中の人の生活はどうだったんだろうと深く深く考える時間、まことにありがとうございました。死ぬまで現役の気持ちで何ができることがと考える時間ありがとうございました。
第3回 長崎の部落史

- 身近なところに多くの歴史があったことを学べました。
- 長崎の部落については知らないことが多く、大変勉強になりました。以前フィールドワークは参加したことがあるのですが、橋口先生もお話されていましたが、知ることの大切さを感じました。その一方、知ることで新たな差別が生まれることもあるかもしれないとも思いました。教え方等をしっかり考えて取り組んでいきたいです。
- 長崎の部落については、全くといっていいほど知らなかった。今回のお話を聞いて初めて知ることがたくさんあった。これを良い機会にして「少しずつ知るところから始めてみよう」と感じた。
- 部落について疑問がなかったので、“何だろう”が大きく感じました。今はどうなのか?特別な人の集落を別に見ることが今はあるのかな?人を差別することは今もあると思いますので考えていきたいです。
- 大人こそが学ぶ機会を得るべき内容だと思いました。同時に敬遠されがちなテーマであるのもまた現実だと感じています。橋口先生がおっしゃったように「楽しく元気に」学べると広がるきっかけになるように思いました。
- 半世紀以上長崎に住んでおりながら、長崎史を知らず、学ばず今に至っています。先生のお話をいただいて、いろんな意味で開眼の日となりました。日常生活ではまずもって知り得ることのできない内容だけに、心より感謝致します。
- 潜伏クリスチャンとの関係が興味深かった。
- 本日のお話大変参考になりました。昔「よしあつ」という言葉を聞いたことがあります。同じなのか、違うのか。また機会があればよろしくお願いします。
- 以前より部落地帯があったことは知っていましたが、歴史については全く知らなかったので、大変勉強になりました。また、被爆者の方々に対する差別も子どもの頃から経験してきましたが、昨今は外国の方々に対しての差別も感じます。今日学んだことを子どもたちと一緒に考えていきたいと思います。
第4回 長崎の部落史を歩く


- 「1871年の『解放令』で職業の垣根も取り払われ、「皮屋業」にどっと人が参入してきた。それで被差別部落の人たちは貧しくなった。しかし、それも乗り越え…」以上はアバウトな記憶ですが、1922年の水平者宣言に至るまで、そして1945年の部落史は大切だと思いました。