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(あらきそうたろうぼち)
指定年月日 昭和50年12月5日
所在地 長崎市鍛冶屋町大音寺後山墓地
荒木宗太郎(?-1636)は名を一清(いっせい)といい、のちに通称を惣右衛門と改めた。肥後熊本の武士であったが、天正16年(1588)長崎に移住し現在の飽の浦公園の地に壮大な屋敷を構え、朱印船(しゅいんせん)貿易商として活躍した。荒木船の船旗は連合オランダ東印度会社のVOCのマークを逆にした図柄であった。宗太郎の妻は、王加久戸女(わかくとめ)と称し、交趾国(ベトナム)の王族阮(ぐえん)氏の娘であった。長崎の人達は、彼女のことをアニオさんと呼んだが、その豪華な輿入れの有様は、現在でも「くんち」の奉納踊の随所に取り入れられている。なお、荒木家は3代伊太郎好信から13代惣八郎春章まで、西築町の乙名を勤めている。
備考
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