1871年、デンマークという国の「グレート・ノーザン(大北)電信会社」が、長崎~上海(中国)と長崎~ウラジオストック(ロシア)のあいだに海の底を通す電信の線を引きました。これにより、日本で初めて外国と国際的な通信(当時はモールス信号)ができるようになりました。一方、日本国内の通信は、1869年の東京~横浜をはじめとして日本中に広がっていき、長崎まで延長されたのは1873年のこと。つまり、外国との電報がはじまったとき、長崎から外国には電報を送ることができましたが、同じ日本の東京には電報を送ることができないという、不思議なことが起きていたのです。