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長崎(小島)養生所跡


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ページID:0004006 更新日:2024年11月11日更新 印刷ページ表示

長崎(小島)養生所跡

(ながさき(こしま)ようじょうしょあと)

市指定史跡

養生所北棟の石垣

指定年月日 平成29年6月5日

所在地 長崎市西小島1丁目58番

 安政4年(1857)、長崎海軍伝習所教官として来日したオランダ海軍軍医ポンペは、長崎奉行所西役所に医学伝習所を設立し、体系的な近代医学教育を開始した。さらにポンぺは、病院の必要性を幕府に申し出て、安政6年(1859)に養生所建設の許可がおりた。
 文久元年(1861)8月、小島郷の丘(現在の西小島)に、日本最初の西洋式近代病院として養生所と医学所が開設された。養生所は、東西に長い2階建の、北棟と南棟の2つの建造物を主たる建物とし、H字のような平面プランを構成していた。建設はポンぺらオランダ人による設計に基づいて行われ、設備や運営には、西洋の進んだ技術や考え方が導入された。
 養生所では、郷民ら多くの人々の治療とともに、臨床医学の講義を含む実践的な教育が行われた。慶応元年(1865)に養生所と医学所は統合されて精得館と改称、化学教室である分析究理所も新設された。
 この地で、実施された本格的な近代西洋医学教育により、松本良順や長与専斎をはじめ日本の医学・医療の発展に寄与した多くの人材が輩出された。
 小学校の建設に伴って行われた発掘調査で、養生所の北棟の石垣や建物基礎などが見つかっている。また、幕末・明治前期のガラス製薬瓶や薬草を煎じる土鍋・土瓶など病院関連遺物も出土している。

備考

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