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明治後期に式見村田舎郷中通に伝承されたものである。鍬踊は、日清・日露戦役の戦勝祝賀行事の余興に出演したのが始まりと言われ、農作業を舞踊化したものである。
獅子舞は、明治末期にこの地方に流行病がまん延した時、その悪疫退散を願って始められたと伝えられている。
笛・太鼓・鉦・鍬踊子・獅子の順で踊りながら入場する。鍬踊は、子どもから大人まで37名で編成し、歌い、手拍子で踊る。獅子舞は、二人一組と駒使い4名で、笛・太鼓・鉦が鳴るのと同時に演技し牡丹の花を狂い食いする様を表現する。鍬踊-農作業を舞踊化した農民の素朴な踊りである。