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聖福寺4棟(大雄宝殿 天王殿 鐘楼 山門)


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ページID:0001265 更新日:2024年11月11日更新 印刷ページ表示

聖福寺4棟(大雄宝殿 天王殿 鐘楼 山門)

(しょうふくじよんとう(だいゆうほうでん てんのうでん しょうろう さんもん))

国指定重要文化財

大雄宝殿の画像
大雄宝殿​

天王殿の画像
天王殿

鐘楼の画像
鐘楼

山門の画像
山門

指定年月日

平成26年9月18日

所在地

長崎市玉園町3-77

唐僧木庵(もくあん)に師事して名僧の誉れが高かった長崎の人鉄心道胖(てっしんどうはん)のために、時の長崎奉行や在留唐人の有志が一寺を創立したのがこの寺で、興福・福済・崇福の3福寺とは創立の由来が異なる。建築様式は鉄心が修業した宇治の黄檗山(おうばくさん)萬福寺に倣って、朱丹塗りを極力避けているが、黄檗天井・半扉(はんとびら)その他の黄檗様式の特徴はある。
大雄宝殿は、現在の建物は正徳5年(1715)の改築。工匠は長崎の楠原与右衛門。釉瓦(ゆうがわら)は肥前武雄製。
天王殿は長崎唯一の遺例で、宝永2年(1705)に堺の棟梁により建立された。
山門は堺の豪商・京屋宗休(きょうやそうきゅう)が寄進し、堺の棟梁により元禄16年(1703)に建立された。
鐘楼は、天王殿と同じく宝永2年に着手された堺と長崎の棟梁の合作で、遅くとも享保元年(1716)に竣工しており、県内の鐘楼建築では現存する最古のものである。
聖福寺の境内は、山門、天王殿、大雄宝殿、鐘楼、方丈の建物で構成されており、黄檗宗寺院特有の伽藍配置をよく継承し、創立当時の伽藍遺構を構成する一連のものとして、建築史的価値の高い貴重な建造物である。

アクセス

長崎駅から

徒歩10分 または、
路面電車/「長崎駅前」電停より、3番系統「蛍茶屋」行き乗車、「桜町」電停下車、徒歩4分

地図

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