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(ながさきしひがしやまてでんとうてきけんぞうぶつぐんほぞんちく)
選定年月日 平成3年4月30日
選定地区 東山手、大浦町の一部約7.5ヘクタール
東山手地区は、安政5年(1858)の五箇国修好通商条約により設けられた長崎の開港場の旧居留地のうち、大浦川右岸の丘陵の一画にある。
居留地は出島より南側の海岸を埋立て、背後の丘陵を含めて造成され、万延元年(1860)から貸し渡し、明治32年(1899)の制度廃止まで続いた。
東山手の居留地は、大浦の商館と海を見下ろす高台に位置し、ポルトガル、アメリカ各国領事館や礼拝堂が建ち、当時は領事館の丘とも呼ばれていた。その後これらの跡地にミッション系の学校が増えて、現在にいたっている。
保存地区の範囲は、丘陵の東山手町の大部分と、海岸寄りの大浦町を一部含む区域である。
地区内の建築物は、桟瓦葺き、外壁下見板張りペイント塗が多く、海の方向に開放的なベランダを付け、主要な部屋を配しており、主要なものとしては、国指定重要文化財の東山手十二番館、旧長崎英国領事館などがある。この他、オランダ坂の石畳の道と石垣や、石溝、石標類など、居留地時代を偲ばせる土木工作物、大きな樹木などが数多く残っている。
長崎市東山手の町並みは、居留地の地割を示す歴史的風致とともに、洋風住宅群をよく残しており、価値が高い。