ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ
現在地 トップページ > 組織でさがす > 文化観光部 > 文化財課 > 深堀鍋島家墓地

深堀鍋島家墓地


本文

ページID:0001087 更新日:2024年11月11日更新 印刷ページ表示

深堀鍋島家墓地

(ふかほりなべしまけぼち)

市指定史跡

深堀鍋島家墓地

指定年月日 昭和49年3月8日

所在地 長崎市深堀町5丁目 菩提寺後山墓地

江戸時代に佐賀藩の家老職を勤めた深堀鍋島家(6000石)歴代の墓地である。深堀鍋島家の始祖は、深堀(三浦)仲光といい、上総国深堀荘(現千葉県夷隅郡大原町)の地頭であったが、その子能仲(よしなか)の時の建長7年(1255)肥前国戸八(町)浦(現在の長崎市戸町とその周辺)の地頭として下向した。そして、以後、長崎半島の全域を支配するようになった。しかし18代純賢(すみまさ)の時に、佐嘉藩の支配に属し、深堀姓を鍋島姓に改めた。この墓地には、19代(鍋島家2代)茂賢(しげまさ)以後の領主とその夫人や一族など、41墓があるが、長崎市における唯一の旧藩主クラスの墓地として貴重である。

備考

地図検索<外部リンク>

バス「深堀」下車徒歩10分