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フィリップ・フランツ・フォン・シーボルトについて


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ページID:0002473 更新日:2025年3月17日更新 印刷ページ表示

シーボルトの生い立ちは

シーボルト肖像
キヨソネ筆シーボルト肖像

シーボルトは、1796年2月17日、現在のドイツ連邦共和国バイエルン州ヴュルツブルク市の医学者の家に生まれました。その後、ヴュルツブルク大学医学部では、医学ばかりでなく、動・植物学や民族学なども学びました。この広い科学的知識が、のちにシーボルトが日本の調査・研究をするときに大いに役立ちました。

シーボルトが残した功績は

1823年、シーボルトは、出島のオランダ商館医として、長崎に派遣されました。日本滞在中には、阿蘭陀通詞(オランダ語の通訳)や、絵師川原慶賀、全国から西洋の学問を学びに来た学者たちの協力を得ながら、日本の調査・研究を行い、その成果をヨーロッパに紹介しました。その中には、長崎の自然・地理・歴史・風俗・美術工芸も含まれていました。1832年に出版を始めた著書『日本』では、当時の日本人が実り豊かな自然を背景に、素晴しい文化を築き上げたことがうかがえます。シーボルトは、日本に近代西洋医学を伝え、日本の近代化やヨーロッパでの日本文化の紹介に貢献しました。ヨーロッパ人でありながら、日本の文化などをこよなく愛した人物であったといえます。