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原爆殉難教え子と教師の像


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ページID:0002043 更新日:2024年11月11日更新 印刷ページ表示

原爆殉難教え子と教師の像

右側

原爆殉難教え子と教師の像

昭和二十年八月九日。原子爆弾の却火とすさまじい爆風は、一瞬にして長崎 の北部一帯を廃墟と化し、十四万有余の市民を殺傷した。さながら地獄のごとき様相は、核兵器の恐るべき脅威を示すものであった。この日家にいた国民学校児童五千八百余、報国隊として工場に出動していた千九百余の生徒たちは、百有余の教師と共に即死、ま たは放射能によりつぎつぎと尊い生命を奪われた。
年を経るに従い、この悲惨な事実が忘れ去られることは忍び難く、県内外の教職員 と有志の協力により、亡きみ霊の安らかならんことを祈念し、再びかかる惨禍をく り返さぬことを誓い、ここにこの像を建立するものである。
昭和57年8月3日

右側石柱の文字

人の命が尊ばれますように

左側石柱の文字

世界が平和でありますように

  • 設置年月日 昭和57年8月3日建立、昭和57年10月15日寄贈
  • 設置者 原爆殉難教え子と教師の像
    維持委員会 委員長 宮田藤臣
  • 作者 富永直樹
  • 碑文碑名書者 松竹太虚