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蠣道浮立は、旧佐賀藩矢上村蠣道に、江戸時代の文化文政期(1804~I829)頃、北高来郡田結村(現諫早市飯盛町田結)から伝えられたと言われている。
今では、別の自治会となっている隣の侍石とは、もともとひとつの部落であったので、浮立のときは一つになって構成される。今では矢上くんちに4年1巡の輪番で奉納されている。特に、ここの大太鼓は熊本城の陣太鼓を大正初期に入手したものと言われている。
世話人入場後、笛・太鼓・鉦の音に合わせて、立道具が踊りながら入場、その後から、鬼の面を被ったササラが踊りながら入場し、次に掛け打ちが入場し太鼓を叩き踊る。最後に婦人の扇子踊りがある。