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喜多元規筆 慈岳和尚法像


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ページID:0001276 更新日:2024年11月11日更新 印刷ページ表示

喜多元規筆 慈岳和尚法像

(きたげんきひつ じがくおしょうほうぞう)

市指定有形文化財

喜多元規筆慈岳和尚法像

指定年月日 昭和50年3月10日

所在地 長崎市筑後町2番56号 福済寺内

唐僧慈岳(じがく)は 明暦元年(1655)木庵(もくあん)に随侍(ずいじ)して福済寺に入り寛文12年(1672)41歳のとき福済寺第二代住持(じゅうじ)となり、元禄2年(1689)58歳で示寂(じじゃく)した。賛者の東瀾は元禄元年(1688)慈岳より嗣法(しほう)したとき49歳、元禄2年 50歳慈岳の示寂に伴い第三代の住持となった。元禄8年(1695)唐僧喝浪を第四代住持として霊鷲庵(りょうじゅあん)に隠居した。このころ東瀾の大きな法像を造ったので、その師の慈岳も同じ位の法像を作らねばなるまいと思って作ったと想像することはできる。画者は落款(らっかん)がないので喜多元規(きたげんき)と断定することはできないが、元規風の作品ということはできよう。
嗣法…法統を継ぐこと。師から弟子へ法がつながっていくことを指す出典『広説仏教語大辞典』中村元著(平成17年3月)