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即非禅師書 雲連分紫山


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ページID:0001274 更新日:2024年11月11日更新 印刷ページ表示

即非禅師書 雲連分紫山

(そくひぜんじしょ うんれんぶんしざん)

市指定有形文化財

即非禅師書雲連分紫山

指定年月日 昭和47年6月10日

所在地 長崎市筑後町2番56号 福済寺内

雄渾(ゆうこん)にして濶達(かったつ)といわれる唐僧即非(そくひ)の書を代表するもののひとつと言えよう。福済寺(分紫山)のために筆を走らせたものである。即非の晩年の書はよく百非(ひゃくひ)書きといわれる。即の字を百と見えるように書かれているからであろう。この書もいわゆる百非書きである。寛文8年(1668)小倉の廣壽山(こうじゅざん)福聚寺(ふくじゅじ)を辞し崇福寺に退隠してから寛文11年(1671)示寂(じじゃく)するまでの書であろう。即非は新しく廣壽山を開いてくれた小笠原侯の檀恩を忘れないのであろうか、崇福寺に居ても廣壽即非と肩書きをつけている書画が多いことは注意すべきである。雲連の二字は普通の草書字典などには見られないようだ。