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興福寺山門


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ページID:0001235 更新日:2024年11月11日更新 印刷ページ表示

興福寺山門

(こうふくじさんもん)

県指定有形文化財

興福寺山門

指定年月日 昭和34年1月9日

所在地 長崎市寺町4番32号

寛永9年(1632)渡来の唐僧黙子如定(もくすにょじょう)が2代住持となり、寺観整備に意を用いたが、さらに承応3年(1654)隠元(いんげん)が来航、この寺に滞留したので諸国の僧俗が雲集し、ために寺観は大いに一新した。しかし寛文3年(1663)市中の大火で一山ことごとく類焼した。
この山門は元禄3年(1690)に再建されたものである。3間3戸八脚門の入母屋造単層屋根・総朱丹塗りの豪壮雄大な外観をもつ。
細部様式は斗栱(ときょう)・蟇股(かえるまた)・繰型(くりがた)等和風様式を基調とする日本人工匠の手になるものである。隠元は滞留1年、明暦元年(1655)東上したが、この門の背面梁上扁額「初登宝地」は隠元の筆である。

備考

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路面電車・バス「市民会館」下車徒歩5分