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興福寺本堂(大雄宝殿)


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ページID:0001232 更新日:2024年11月11日更新 印刷ページ表示

興福寺本堂(大雄宝殿)

(こうふくじほんどう)

国指定重要文化財

興福寺本堂

指定年月日 昭和8年1月23日

所在地 長崎市寺町4番32号

中国江西省の劉覚(りゅうかく)が元和6年(1620)頃長崎に渡来、僧となり真圓(しんえん)と称してこの地に小庵を営んだ。在留唐人の南京地方出身者が一寺創立を図り、媽祖堂・仏殿を建てて真圓を開基とした。寛永9年(1632)唐僧黙子如定(もくすにょじょう)が渡来、2代住持となるに及び寺観大いに整い、更に承応3年(1654)唐僧隠元(いんげん)を迎え全国の僧俗が雲集したため、外堂・山門等一段と整った。元禄2年(1689)再建された大雄宝殿が、慶応元年(1865)暴風で大破したため、明治16年(1883)再建されて現在に至る。中国工匠の手になる純粋の中国建築で、巧緻な彫刻・華麗な彩色・氷裂式組子(ひょうれつしきくみこ)の丸窓等珍しい。

備考

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路面電車・バス「市民会館」下車徒歩5分