本文
(そくろうおしょうじゃいしょ)
指定年月日 昭和47年6月10日
所在地 長崎市鍛冶屋町崇福寺後山墓地
崇福寺中興開山唐僧即非禅師は、寛文11年(1671)5月20日正午、数多くの弟子たちに見守られて崇福寺方丈(ほうじょう)に示寂(僧が死すこと)した。56歳であった。
翌5月21日正午、遺言によりこの場所で西面して火葬に付されたが、このとき崎陽(長崎)の老若男女数千人が参列し、参列できないものは、遥かにこの地を望んで拝したと伝えられている。闍維(じゃい)とは、僧侶を火葬することで、この頃は、俗人はほとんど土葬であった。
石材はこの辺にあったものを利用したのであろうが、刻字は一応注目に値するものと言えよう。
備考
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(補足)地図は目的地周辺のおおむねの位置を示しています