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即非禅師書規条六則


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ページID:0001210 更新日:2024年11月11日更新 印刷ページ表示

即非禅師書規条六則

(そくひぜんじしょきじょうろくそく)

市指定有形文化財

即非禅師書規条六則

指定年月日 昭和47年6月10日

所在地 長崎市鍛冶屋町7番5号 崇福寺内

寛文11年(1671)、数え年56歳を迎えた即非禅師は、2月再び病の徴候があり、今度の病は治ることはないだろうと随侍(ずいじ)の弟子に洩らした。それからも平常と変りなく毎日の仏事を営み、題賛を乞うものがあればこころよく応じた。しかし、薬は辞し、食はすすまず、痩色は日に増すばかりであった。
寛文11年5月6日、規条六則を書いた。この規条六則は、崇福寺を継いでいく人のために、守るべき要点を示したものである。示寂(じじゃく)のちょうど二週間前の書である。5月14日は最後の誕生日で大ぜいの人が見舞い、やがて5月20日の示寂の日を迎えるのである。