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崇福寺大釜


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ページID:0001208 更新日:2024年11月11日更新 印刷ページ表示

崇福寺大釜

(そうふくじおおがま)

市指定有形文化財

崇福寺大釜

指定年月日 昭和43年11月20日

所在地 長崎市鍛冶屋町7番5号 崇福寺内

延宝9年(1681)正月、福済寺が施粥(せじゅく)を始めたが崇福寺は寺内工事のため施粥はできなかった。工事が終わった9月15日から千呆(せんがい)は町に托鉢(たくはつ)に出て施粥を始めた。この年10月に天和元年と改元の報せがあり,翌天和2年(1682)4月14日、大釜を鍛冶屋町から車に乗せ崇福寺本堂前のかまどに乗せた。口径6尺5寸、深さ6尺、この釜代一貫三百目と伝える。鋳物師(いもじ)阿山(あやま)家の二代安山弥兵衛の仕事と推定される。5月15日には施粥は止んだ。釜の廻りに『聖寿山崇福禅寺施粥巨鍋天和貳年壬戌仲春望後日』の銘がある。
大釜はその後現在の鐘鼓楼の位置に移され、次に護法堂との間に移り、明治36年(1903)現在位置に移された。

備考

地図検索<外部リンク>

  1. 路面電車「崇福寺」下車徒歩3分
  2. バス「崇福寺入口」下車徒歩3分