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晧臺寺の唐通事呉家墓地


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ページID:0001185 更新日:2024年11月11日更新 印刷ページ表示

晧臺寺の唐通事呉家墓地

(こうたいじのとうつうじごけぼち)

市指定史跡

晧臺寺の唐通事呉家墓地

指定年月日 平成18年1月10日

所在地 長崎市寺町晧臺寺後山墓地

呉家の祖である呉一官(榮宗)(えいそう)は福建省泉州府晋江県出身(ふっけんしょうせんしゅうふしんこうけん)の住宅唐人。慶安4年(1651)に唐年行司(とうねんぎょうじ)となり、延宝6年(1678)に病死した。その跡は子の呉家二代市左衛門(いちざえもん)が継ぎ、四代兵蔵(へいぞう)まで唐年行司を務めたが、五代市左衛門のとき年行司から稽古通事(けいこつうじ)となり、小通事(こつうじ)末席まで上った。六代市郎太(いちろうた)以後は初めから唐通事となり、九代泰蔵(たいぞう)は安政3年(1856)、呉家として初めて小通事に昇進した。
初代榮宗の墓は家屋風中国様式のもの、元禄8年(1695)に死去した二代市左衛門の墓は堂々たる五輪塔であり、唐人の市中雑居時代(しちゅうざっきょじだい)における住宅唐人呉家の地位と財力を物語っている。

備考

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(補足)地図は目的地周辺の概ねの位置を示しています

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