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俊寛僧都墓碑


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ページID:0001151 更新日:2024年11月11日更新 印刷ページ表示

俊寛僧都墓碑

(しゅんかんそうずぼひ)

市指定有形文化財

俊寛僧都墓碑

指定年月日 平成17年8月22日

所在地 長崎市伊王島町1丁目 円通寺敷地内

治承(じしょう)元年(1177)、俊寛僧都は平氏打倒の密議が発覚し、藤原成経、平康頼と共に島に流された。のちに藤原成経、平康頼は赦されて京都に帰ったが、俊寛一人は島に残されこの地で亡くなり、召使の有王丸が丘の上に葬ったとされている。
宝暦(ほうれき)6年(1756)、天龍法師は長崎の儒学者勝木枕山らとともに、俊寛の墓碑を建てたが、天保(てんぽう)14年(1843)の台風で倒壊した。現在の墓碑は、弘化(こうか)2年(1845)勝木常永らによって再建されたものである。

備考

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「伊王島ターミナル」から徒歩10分