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戸町番所跡四・五・六・七番石標柱


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ページID:0001083 更新日:2024年11月11日更新 印刷ページ表示

戸町番所跡四・五・六・七番石標柱

(とまちばんしょあと)

県指定史跡

戸町番所跡

指定年月日 昭和38年10月30日

所在地 長崎市国分町2

寛永16年(1639)、海外交易は中国・オランダの2国のみとなったが、その後もポルトガル船が長崎に来津するので、寛永18年(1641)幕府は筑前藩に長崎港警備を命じ、さらに寛永19年(1642)佐嘉藩に対しても、筑前藩と隔年交代で長崎港の警備に当たることを命じた。これにより長崎港口を押さえる西泊と戸町に番所が設けられた。これを沖の番所という。はじめは仮小屋で毎年造り替えられたが、慶安元年(1648)両藩立会いで本建築とし石火矢台等も整備された。番所には中老以下物頭その他侍25人、足軽160人、水主320人等両番所合わせて1,000人程の陣容が駐留し、千人番所と言われたが、元治元年(1864)廃止された。

備考

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(補足)地図は目的地周辺の概ねの位置を示しています

バス「戸町番所跡」下車徒歩1分