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浦上村渕庄屋志賀家墓地


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ページID:0001077 更新日:2024年11月11日更新 印刷ページ表示

浦上村渕庄屋志賀家墓地

(うらかみむらふちしょうやしがけぼち)

市指定史跡

浦上村渕庄屋志賀家墓地

指定年月日 昭和52年3月25日

所在地 長崎市曙町悟真寺管理墓地

浦上村渕の庄屋を勤めた志賀氏歴代の墓域で、墓碑は始祖志賀親成(?~1622)初代庄屋親勝(?~1640)以降20基がある。墓碑によれば志賀氏は豊後大友氏の庶流で、大友氏除封後は長崎に流寓、当時の長崎奉行で同族同郷の竹中重興(1629~33)により浦上渕の庄屋に任命されたという。志賀氏管轄の稲佐が安政5年(1858)ロシア休息地に指定され、親憲は開設に関与し、長男の親朋(1842~1916)はその環境から露語通訳となり、幕末にはロシア留学(1866)、維新前後には対露外交交渉(日露国境仮規則・千島樺太交換条約など)に通訳として関与した。

備考

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(補足)地図は目的地周辺の概ねの位置を示しています

アクセス バス「悟真寺前」下車徒歩7分