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唐人墓地祭場所石壇


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ページID:0001076 更新日:2024年11月11日更新 印刷ページ表示

唐人墓地祭場所石壇

(とうじんぼちまつりばしょいしだん)

市指定史跡

唐人墓地祭場所石壇

指定年月日 昭和48年12月28日

所在地 長崎市曙町悟真寺境内

悟真寺国際墓地の入口に向かってすこし左寄りにある。昔は正面にあったが、戦時中墓地内に移され、戦後もとの形に復したとき、すこし左に寄せて交通の便をはかった。万治2年(1659)、長崎散宿の唐人たちが造り春秋の祭祀法要(さいしほうよう)を営んだという。悟真寺はキリシタン盛時にそれに対抗して仏法流布をはかった最初の寺で慶長3年(1598)ごろの創建であり、唐商欧陽華宇(おうようかう)・張吉泉(ちょうきっせん)らが主宰して唐人のための墓地を造った。その後唐寺ができて、唐寺にも若干墓ができたが、悟真寺の唐人墓はそのままであった。ロシア墓のところなども昔は唐人墓地で、これを整理してロシア墓を造ったのであろう。

備考

地図検索<外部リンク>

バス「悟真寺前」下車徒歩3分