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鉅鹿家魏之えん兄弟の墓(1基)


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ページID:0001053 更新日:2024年11月11日更新 印刷ページ表示

鉅鹿家魏之琰兄弟の墓

(おうがけぎしえんきょうだいのはか)

鉅鹿家魏之琰兄弟の墓

指定年月日 昭和39年10月16日

所在地 長崎市西山本町10番

この墓は、鉅鹿家の祖とその兄魏毓禎の二人を祀る前方後円の中国式墓である。魏之琰兄弟は福建省福州府福清縣の人であるが、東京(現在のベトナム)に移住し、東京船主として長崎間を往来し、巨利を得た。毓禎は崇福寺に多大の貢献をしたが承応3年(1654)東京で死去した。その後の貿易は弟が引継いだが、寛文12年(1672)之琰は一家をあげて長崎に移住し住宅唐人となった。天和年間、死後30年を経た兄毓禎の遺骨が長崎に来た。元禄2年(1689)之琰が死去して、子どもたちが父と伯父を合葬したのがこの基である。之琰は死去するまで鉅鹿姓を名乗らず魏であったが、子どもから鉅鹿と日本姓を名乗った。

備考

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(補足)地図は目的地周辺の概ねの位置を示しています

バス「経済学部前」下車徒歩7分