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高木家墓地


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ページID:0001041 更新日:2024年11月11日更新 印刷ページ表示

高木家墓地

(たかぎけぼち)

市指定史跡

高木家墓地

指定年月日 昭和48年11月5日

所在地 長崎市筑後町本蓮寺後山墓地

高木家は、初期の頭人(とうにん)の一人で、その後町年寄に任ぜられ元文4年(1739)9代忠與の時、長崎代官3000石をたまわり、代々勝山町に住み代官をつとめた。この墓地は寛文11年(1671)没の4代宗能(むねよし)以後に作られたものであろう。墓碑は、4代宗能から8代忠栄(ただえ)まで、代官墓碑は9代忠與と10代忠興で寛政10年(1798)までみられる。これは享保6年(1721)御用物方であった8代忠栄が本蓮寺二天門横に位牌所達心院(いはいしょたっしんいん)を創設し、11代忠任以後の墓碑はその場所に建てられたからであろう。ただし達心院墓碑群は明治以後別地に移され今はない。墓碑は五輪(ごりん)形式のもので、江戸時代における長崎町年寄と代官の墓碑としては、長崎では稀である。

備考

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(補足)地図は目的地周辺の概ねの位置を示しています

路面電車・バス「長崎駅前」下車徒歩10分