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都市間の交流 セントポール市

更新日:2023年5月18日 ページID:004955

都市間の交流 セントポール市

セントポール市SAINT PAUL

  • 面積:145平方キロメートル
  • 人口:約30万人
  • 提携:1955年(昭和30年)12月7日
  • 特色:農産物の一大集散地、アメリカ北西部の交通要所

街の紹介

セントポール市の地図

ミネソタ州の州都であるセントポール市は、面積145平方キロメートル、人口約31.1万人の製造、通信、金融、保険、観光、農業等の盛んな都市です。隣接するミネアポリス市とは、ミシシッピ川をはさんで双生児のように発達したことから「双子都市(ツインシティー)」と呼ばれています。

古くから「偉大な北西部」開拓の起点として栄え、流れ豊かなミシシッピ川に育まれた肥沃な大地から農産物の一大集散地として、また交通の要所として発展してきましたが、現在ではコンピューター、科学機器に代表されるハイテク産業に経済の中心が移っており、世界的に有名な企業の本社をはじめ数多くの企業・会社があります。町の様子

15,000に及ぶ数多くの湖と川、緑豊かな町で、気候は、大陸的気候で雨量は少なく、寒暑の差は大きく、平均気温は冬はマイナス11度、夏は22度ですが、冬の最低気温はマイナス40度に下がることもあります。

締結のきっかけ

セントポール市両市の姉妹都市提携を提案したのは、セントポール市のルイス・W・ヒル・ジュニア氏で、同氏は、1893年に北米の大陸横断鉄道「グレート・ノーザン鉄道」を敷設したジェームズ・J・ヒル氏の孫。祖父が経営する汽船会社の長崎航路に乗り、新婚旅行を含め数回長崎を訪れていた。そのような訪問を通じて、長崎の美しい自然や親切な人々に魅了されていたが、原爆により破壊された無残な長崎の姿を悲しみ、「市民同士の友情が深まれば、争いのない、平和な世界を築くことができるだろう。」との強い信念により、両市の姉妹都市提携の働きかけを行った。
同氏の働きかけもあり、ニューヨークの日本国連協会代表が、原爆被災から復興し平和 都市への道を歩んでいた長崎市とセントポール市の提携を斡旋。その後国連事務局が両市に勧誘状を出した。日米初の姉妹都市提携である。(1955年(昭和30年)12月7日に長崎市議会全員協議会で承認、同7日にセントポール市議会で決議)

交流の状況

時期

主な交流状況

1955年(S30)

・姉妹都市提携締結。

1957年(S32)

・「世界友の会」の斡旋で長崎市から贈られた桜の苗木の記念植樹をセントポール市で開催。

1962年(S37)

・セントポール空港に通じる公道を「長崎道路」と命名。

1975年(S50)

・セントポール・長崎両ロータリークラブが交換留学生を受入・派遣。(以降、毎年実施/ 平成11年からは隔年受入派遣)

・セントポール市のコモ公園日本庭園整備協力。

・セントポール市で原爆展を開催。

・平野町の国際文化会館へ通じる道路を「セントポール通り」と命名。

1981年(S56)

・セントポール・長崎姉妹都市委員会、セントポール・ロータリークラブ、セントポール・ミネアポリス日系米人青少年団から長崎市へ初代トーテムポール寄贈。

1986年(S61)

・セントポール市から少年野球チーム(ミネソタ・リトル・ゴファーズ)が来崎し、韓国の釜山市東西郊中学校チームを交えて日・米・韓国際親善少年野球大会を開催(昭和63年も実施)。

・長崎市からセントポール市へ平和の石(被爆石)を贈呈し、セントポール市のツインシティであるミネアポリス市へ贈呈。ミネアポリス市は広島市からも被爆石を譲り受け、「レイク・ハリエット・ロックガーデン」に設置。

1992年(H4)

・セントポール市が平和公園へ平和モニュメント「地球星座」を寄贈。

1998年(H10)

・コンサート等を通じて市民との交流を深めるため、長崎交響楽団と姉妹楽団であるセントポール市シビック・シンフォニー 一行などが来崎。

1999年(H11)

・両市の交流の絆を再認識し、市民レベルでの積極的な交流を通じて、さらなる両市間の友好親善関係の推進を図ることを目的として長崎・セントポール姉妹都市委員会発足。

2005年(H17)

・「ヒロシマ・ナガサキ原爆展」をセントポール市役所で開催。

・ランディ・ケリー市長と市民訪問団を迎え、姉妹都市提携50周年記念式典セレモニーを開催。

・セントポール・長崎両ロータリークラブから長崎市に2代目トーテムポール寄贈。

2006年(H18)

・「セントポールセインツ」球団一行30人が長崎県営野球場での交流試合のため来崎。

2007年(H19)

・セントポール市でセントポール・長崎姉妹都市委員会が第1回平和祈念式典を開催。

・純心女子高校が上記式典に合わせ、第1回歌の千羽鶴を派遣。(平成22年、25年、27年も同様に派遣)

2008年(H20)

・クリス・コールマン市長をはじめとするセントポール市訪問団が来崎し、中町公園に「ヤマモミジ」を植樹。

2010年(H22)

・姉妹都市提携55周年記念写真展"seen & unseen"「ピーター・リーチ セントポールの日本庭園写真展」を歴史文化博物館で開催。

・クリス・ロッソー セントポール・長崎姉妹都市委員会前会長へ長崎市国際親善栄誉証を贈呈。

2012年(H24)

・日米桜寄贈100周年を記念して、日本からセントポール市に贈られた桜の植樹式をコモ公園で開催。

・セントポール・長崎両ロータリークラブから長崎市へ「平和のビジョン」像(セントポール市庁舎にある像のレプリカ)寄贈。

2015年(H27)

【姉妹都市提携60周年】

・コモ公園内のゲートウェードライブを「ナガサキロード」と改名。

・姉妹都市提携60周年を記念し、セントポール市のコモ公園でキックオフイベント「桜の祝典と日本の凧揚げ」開催。中村清光・明子夫妻がセントポール市を訪問し、市民交流を行う。

・リンダ・ハシモト氏をリーダーとする日本舞踊グループ三世四世会が来崎し、学校交流等を行う。

・第50代セントポール市長ジェームズ・シャイベル氏に長崎市国際親善平和栄誉証を贈呈。

・「ヒロシマ・ナガサキ」原爆展をセントポール市で開催。(主催:国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館)

・子どもゆめ体験事業で長崎市の中学生16人がセントポール市を訪問。ホームステイを行うとともに、ジャパニーズ・ランタン・ライティングフェスティバルで長崎ぶらぶら節などを披露。

・クリス・コールマン市長夫妻をはじめとするセントポール市訪問団が来崎。

・高校生写真展「長崎・セントポール姉妹都市60周年記念『高校生が写真でつなぐ姉妹都市』」を開催。

2017年

(H29)

・セントポール・長崎姉妹都市委員会理事のカレン・ステルソンさんが、被爆者安井幸子さんの被爆体験記をノンフィクション本としてまとめ、全米で「SACHIKO: A Nagasaki Bomb Survivor's Story」(サチコ:ある長崎原爆生存者のものがたり)として出版。ステルソンさんをはじめ8名が出版を記念し来崎。
・日本舞踊グループ「三世四世会」が来崎し、純心高校で交流会を実施。
2018年(H30)

・元セントポール市長ジェームズ・シャイベル氏がハムリン大学学生とともに来崎し、「核問題と平和:将来あるべき姿に関する日米姉妹都市学生ディスカッションフォーラムin長崎 2018」に参加。

2019年

(R1)

・セントポール・長崎姉妹都市委員会前会長のエリザベス・シマー氏が来崎。

・TEAM Fと長崎・セントポール姉妹都市委員会主催のジュニアテニス交流団がセントポール市を訪問。

・セントポール・長崎姉妹都市委員会前々会長のジム・クンツマン氏と副会長のマギー・クアム氏が平和祈念式典へ参列。

2020年
(R2)
・長崎東高とセントポール・アイアンデール高の生徒による写真交流を実施。

・カレン・ステルソンさんが長崎・セントポール姉妹都市委員会会長を通じ市長に「A BOWL FULL of PEACE」の絵本を寄贈。

2021年
(R3)
・セントポール・長崎姉妹都市委員会が外務大臣表彰を受賞。

セントポール市同種団体との姉妹提携団体

長崎ロータリークラブ セントポールロータリークラブ
長崎交響楽団 セントポールシビックシンフォニー
長崎・セントポール姉妹都市委員会 セントポール・長崎姉妹都市委員会

歴史とみどころ

1849年11月、ミネソタ準州議会によって、「セントポール町」ができます。1854年「セントポール市」になり、1858年、ミネソタ州が連邦32番目の州に昇格し、セントポール市が州都となります。
1860年には、セントポールはミシシッピ川沿いの商業と交通の北部中心地となり、人口も増加していきます。南北戦争前まで、セントポールへの交通手段は蒸気船でしたが、その後鉄道が主流となり、1881年ロウアータウン に駅庁舎が完成し、1883年ノーザン・パシフィック鉄道 と1893年ジェームス・J・ヒル氏のグレート・ノーザン鉄道がセントポール市を拠点として開通すると、セントポールとシカゴ、そして太平洋を鉄道網が完成し、鉄道の町として発展していきました。

セントポール大聖堂

セントポール大聖堂セントポール・ミネアポリス大司教区のボザール建築様式の大聖堂。1906年に建築が始まり、1915年に完成。アメリカ国内で4番目に大きい聖堂で、1974年国指定歴史的史跡に登録されました。

Cathedral of Saint Paul
住所:239 Selby Avenue,Saint Paul, MN 55102
電話番号:651.228.1766 FAX番号:651.228.9942
Cathedral of Saint Paul Website(新しいウィンドウで開きます)

ミネソタ州議事堂

ミネソタ州議事堂アメリカを代表する建築家キャス・ギルバートがバチカン市立国にあるサン・ピエトロ大聖堂をモデルに設計したルネッサンス調の建物。1896年に竣工、1905年に完成。支柱なしの大理石のドームを有する建物はこの議事堂以外に、世界でも数えるほどしかありません。現在の議事堂は3番目であり、最初の議事堂は1881年に火災で焼失、1883年に完成した2番目は手狭となったため、建て替えられました。1972年、議事堂は国指定歴史的史跡に登録されました。

Minnesota State Capitol
住所:75 Rev. Dr. Martin Luther King Jr. Blvd. St. Paul MN 55155
電話番号:651-296-2881
Eメール:statecapitol@mnhs.org

モール・オブ・アメリカ

モール・オブ・アメリカセントポール郊外にある、全米最大級のショッピングモール。1992年8月にオープンし、延床面積は約39万平方メートル。デパート4店、520以上の店舗、映画館のスクリーン数14、遊園地、水族館もある複合商業施設です。

全店舗を10分ずつ見て回るには86時間以上かかるぐらい巨大なモールです。毎日何百人という人がモール内をウォーキングしていて、フィットネスの場としても活躍しています。

更に、モール内の「Chapel of Love」では結婚式も挙げられます。

Mall of America(新しいウィンドウで開きます)
Mall of America
住所:60 East Broadway, Bloomington, MN 55425
電話番号:952-883-8800

スカイウェイ

スカイウェイ年間平均気温7度のセントポールの冬は特に厳しいです。そのため、屋外に出ないまま建物間を移動できる高架式道路のスカイウェイは街中を移動するのに大変便利です。1973年から2001年にかけて建設されたスカイウェイによって市内40ブロックがつながれており、直線距離にすると延べ11キロになります。

豆知識

ピーナッツキャラクター「グレート・ギャツビー」を執筆したF・スコット・フィッツジェラルドはセントポール出身。
彼の名前が付けられた「フィッツジェラルド劇場」は市内で一番古い劇場です。

スヌーピーの生みの親チャールズ・M・シュルツはミネソタ生まれ、セントポール育ち。
マンガ「ピーナッツ(Peanuts)」に登場するキャラクターの像がランドマークプラザ公園など街中にあります。

フィッツジェラルド劇場ピーナッツキャラクター

お問い合わせ先

企画政策部 国際課 

電話番号:095-829-1113

ファックス番号:095-829-1262

住所:〒850-8685 長崎市魚の町4-1(9階)

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