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浦上第一病院には、被爆後、多くの人々が治療を求めて押し寄せました。医療器具も医薬品もない中、懸命な処置が続けられたそうです。医長だった秋月辰一郎氏は著書「死の同心円」で当時の死の恐怖をつづっています。長崎原爆の代表的な証言です。この木は、原爆被害を物語る生き証人として、昔と同じ場所に静かに立っています。
爆心地側の幹の中央には線状に焦げた傷跡が残っていますが、今でも初夏に白い花を咲かせます。当時の傷を抱えながらも、樹木医の治療を受けながら、この地に根ざしている木です。大切に見守ってください。
小峰町の聖フランシスコ病院(被爆当時:浦上第一病院)の駐車場にあります。車の通行に十分気をつけて見学してください。見学のためであれば自由に出入りできます。