文・宮川密義


長崎の歌は2009年4月現在で約1,800曲。その中には珍しい歌、ユニークなエピソードを秘めた歌も多く、一部はバックナンバー��42「秘曲・珍曲・話題曲(上)」、��43「秘曲・珍曲・話題曲(下)」で紹介済みですが、今回からはその続編です。


1.「しののめ長崎」
(昭和16年=1941、若杉雄三郎・作詞、 東 辰三・作曲、歌上艶子・歌)


夜明け前の“とんとろり”とした長崎を歌っています。太平洋戦争開戦の7ヶ月前に出ましたが、当時の時勢としてはのんびりした歌です。
歌上艶子(うたがみつやこ)は大正6年、佐世保生まれで、本名・横枕三佐子(よこまくらみさこ)。
松竹歌劇学校を出て、昭和11年にコロムビアから「ピーターパン」(同名の少女歌劇の主題歌)でデビュー。同年「やさしき花」、12年「あざみの花」を出しました。 昭和14年にビクターに移籍、歌謡曲歌手として「ステキな思いつき」で再デビュー。「南京夜曲」「乙女の小窓」「幌馬車ぐらし」などの後、「しののめ長崎」を出しました。
昭和17年の灰田勝彦(はいだかつひこ)とデュエットした「マニラの街かどで」がヒットして注目されました。


2.「ジャワの夕月」
(昭和18年=1943、佐伯孝夫・作詞、佐々木俊一・作曲、灰田勝彦・歌)


当時の日本軍の南方攻略に呼応して作られた歌ですが、灰田勝彦のヒット曲「燦めく星座」とカップリングされ、こちらもヒットしました。
1番はA面の「燦めく星座」に似た調子で、灰田勝彦の魅力で聴かせ、2番と3番では故郷長崎を慕う“じゃがたらお春”を思いやり、4番では故郷を偲ぶ男の胸のうちを歌っています。
“じゃがたらお春”はキリシタン禁制の寛永時代、外国人男性と日本人女性との間に生まれたがゆえにインドネシアのジャカルタ(当時「じゃがたら」と呼称)に追放された子供たちの中の1人、長崎の14歳の少女お春のこと。彼女らが故国に送った手紙“じゃがたら文”をモチーフにした歌もあり、「長崎物語」(昭和14年、由利あけみ・歌)、「じゃがたら文」(昭和12年、関種子・歌)など数多く出ています。

灰田 勝彦


3.「桃太郎とカステラ」 
(昭和27=1952年、サトウハチロー・作詞、服部良一・作曲、藤山一郎、児童合唱団・歌)





数多い長崎の歌の中で、名産のカステラが歌われたのは「長崎名物ぶし」や長崎の名所名物を歌った歌の一部分に織り込まれた程度です。全国盤によるカステラだけの歌は見当たりません。
この歌はカステラの老舗の東京店が自費制作したPRソングで、「カステラ娘」(並木路子・歌)とカップリングでレコードが作られました。
PR盤ながら、両曲ともサトウハチロー・作詞、服部良一・作曲。歌は「長崎の鐘」の藤山一郎、片や「リンゴの唄」の並木路子と、当時人気絶頂の人たちによる本格的な歌です。
「桃太郎とカステラ」は鬼ヶ島に鬼退治に行った桃太郎が、どういうわけか長崎に凱旋。ご褒美にカステラをもらって犬、猿、雉も大喜び。カステラを土産に江戸に帰るという内容ですが、店名は最後に1カ所出る程度です。
「カステラ娘」も「銀座通ればはるかと誰に/歌が聞こえる黒船の/バテレンバテレン パライソパライソ/見れば長崎 カステラ娘/甘いえくぼの粉が散る…」と歌い、3番に店名が出ます。
ちなみに、並木路子は「カステラ娘」のほかに「東京のバラ娘」(昭和25年)、「バナナ娘」(同)「パチンコ娘」(26年)、「恋のカナリヤ娘」(同)、「陽気なカナリヤ娘」(27)、「陽気なハモニカ娘」(29年)〜と“娘もの”を7曲も出しています。
なお、年代は不明ですが、「カステラ節」(野村俊夫・作詞、古賀政男・作曲、久保幸江・歌)と“カステラ娘”のサブタイトル付きの「可愛がってね」(サトウハチロー・作詞、服部良一・作曲、並木路子・歌)も同じ企画として出ています。


4.「惚れとっとよ」
(昭和50年=1975、加藤新吾・作詞、松井淳子・補作、沢しげと・作編曲、三田恵子・歌)


逃げ腰の男性(旦那)に詰め寄る女性の歌です。「長崎言葉の歌(中)」で紹介した「捧げたとよ」(石川せいどう・補作詞、沢しげと・作曲、立花みどり・歌)と同時期に出ました。
この歌も高峰三枝子のヒット曲「湖畔の宿」(昭和15年)の節で歌われた長崎の替え歌「おうちゃよかとき」を基に方言だけでつづられた歌で、長崎言葉というより“博多弁”です。
長崎では「おうちゃよかとき どげん云うたへ/帯も買うてやる 着物も買うてやる/時にゃ映画(かつど)に連れて行く ねェ/そげん云うちょってね/うちばだますとへ/そいばってん うちは思うとっとよ…」の1節だけ歌われましたが、題名は付いていません。
「どげん云うたね」の部分は長崎言葉では「どげん云うたへ」で、「へ」は「ye」でなく「he」と発音します。



「惚れとっとよ」の表紙



5.「九州焼酎音頭」
(昭和54年=1979、出島ひろし・作詞、深町一朗・作曲、市川勝海・歌)



踊りのための新民謡レコードが相次いだ昭和50年代、そのジャンルの長崎の歌も多く作られました。特に熱心だったテイチクは地元作家と舞踊家を起用。長崎ものだけにとどまらず、九州全域へエリアを広げていきました。
作詞の出島ひろし(このサイトの筆者・宮川のペンネーム)は当時ブームの焼酎を取り込み、地元の深町一朗が曲を付け、雲仙市国見町出身の民謡歌手、市川勝海が軽快に歌って、「凧(はた)あげ音頭」とのカップリングでレコードになりました。
壱岐の麦焼酎、佐賀の米焼酎、鹿児島のイモ焼酎、大分の麦焼酎、熊本の米焼酎、宮崎は蕎麦焼酎…と、各県の特色を織り込み、深町一朗も酔いごこちに合わせてコミカルな曲を付け、地元の石橋輝興の振りが付き、踊られました。
なお、この時期に出島が作詞した九州ものは「九州花笠おどり」(三波春夫)、「九州花づくし」(今井三枝子)、「九州かたぎ」(前川洋)、それに佐賀の「新葉隠音頭」(新城守・今井三枝子)、「新太郎ばやし」(新城守・今井三枝子)などがあります。



「九州焼酎音頭」も入った
レコードの表紙





6.「デンデラリュウ」
(昭和52年=1977、前田良一・作詞、作曲、 屋台のおっちゃん・歌)



たたみかけるようなリズムに乗せて、ユーモラスにつづった社会風刺の歌です。
歌ったのは大阪で屋台を開きながらラジオにも出演していた“屋台のおっちゃん”こと前田良憲(まえだりょうけん=本名・良一)さん。ある日、前田さんが自宅近くの公園を散歩中、砂遊びをしていた子どもが口ずさんでいる歌を聴いて関心を持ち、新曲の中に取り入れました。その子の母親は長崎出身で、女の子はママゴト遊びの時などに歌っていたらしいことが分かりました。
調べてみると、元歌は長崎地方を中心に古くから歌われた「わらべ唄」で、さだまさしの「がんばらんば」にも取り込まれた「でんでらりゅう」(「でんでらりゅうば」とも)です。
レコード発売当時、このわらべ唄にスポットが当てられ、ラジオなどで元歌のルーツ探しもあって話題になりました。



「デンデニリュウ」のレコード表紙

 

元歌は全国各地でアレンジされながら歌い継がれ、小学校の音楽の教材にも採用されていました。 遊びに出ようにも出られない子供の歌とか、隠れキリシタンの歌…などと推理する人もいましたが、起源や本当の意味などは分かっていません。



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