文・宮川密義

1,570曲もある長崎の歌には長崎らしい素材が散りばめられていますが、中でも長崎の女性をテーマにしたものは数多くあります。
手元のデータを分類した結果、「タイトルで見る素材ベスト10」の第1位が「女」あるいは「娘」「ひと」で、合わせて75曲あります。
2位は、これらにつながる「恋」「ロマンス」「ロマン」と名付けた歌の70曲。
歌われる長崎の女性像はさまざまですが、特に多いのは、昭和30年代までは“異国の恋人との別れに涙する女性”や“幸せな時期の蝶々さん”“愛きょうを振りまくかわいい娘さん”のパターン。
昭和40年ごろからの演歌時代になると、“恋に傷ついて長崎に流れ着き、鐘や祈りに心をいやされる女性”の姿が描かれます。以下、話題になった歌から年代順に拾ってみました。



1.「長崎むすめ」
(昭和14年=1929、若杉雄三郎・作詞、山田栄一・作曲、金廣つぼみ・歌)



三角白帆の外国船が出入りするころの長崎港が舞台。
港を出てゆくオランダ船で祖国に帰る恋人を、泣いて見送る長崎の娘さんを歌っています。長崎の歌にはよく出る情景です。
これを歌う金廣(かねひろ)つぼみは18歳の昭和12年に、名古屋の芸者から「想ひのこして」で歌手デビュー、「雪の黒竜江」や「戦線日記」など戦時歌謡で知られます。
「長崎むすめ」は20歳のとき吹き込んだわけですが、あどけなさが残る声で、ひたむきな長崎娘の心をしっとりと歌っています。


デビュー時の金廣つぼみ
(歌詞カードから)



2.「長崎のマリヤさん」
(昭和24年=1949、門田ゆたか・作詞、吉田 正・作曲、暁 テル子・歌)



こちらは外国の船乗りと結婚した長崎女性でしょうか。
前半では一途な恋心を抱く?“マリヤさん”、後半は“投げキッス”とか“夜は女で、明ければママ〜”と、働く女性?の姿がつづられます。
歌う暁テル子は昭和25年に「東京カチンカ娘」と「リオのポポ売り」がヒット、26年に「ミネソタの卵売り」「東京シューシャンボーイ」の大ヒットでスター歌手に浮かび上がった人です。
「長崎のマリヤ」さんは、その1年前の下積み時代に歌ったものです。



歌に描かれた“異国の恋人を見送る長崎娘”
のイメージもわきそうな長崎港
〜昨年の帆船まつりから〜



3.「長崎のランタン娘」
(昭和26年=1951年、佐伯孝夫・作詞、佐々木俊一・作曲、小畑 実・歌)



昭和25年に出て中ヒットした「長崎の花売娘」(バックナンバー17「長崎の春を歌う」参照)の余韻を受けて、翌26年6月には「長崎のランタン娘」が登場しました。
舞台は雨に濡れた宵の出島のオランダ屋敷あたり。
ランタンの明かりが洩れる窓辺でしょうか。
母国に帰るオランダ人の恋人との別れを悲しんで泣く娘さん。
3年前「長崎のザボン売り」(バックナンバー13「長崎の食べ物讃歌」参照)で大ヒットを飛ばした小畑実(おばたみのる)が伸びやかに歌いました。
最近の長崎の名物イベント「ランタンフェスティバル」(今年は1月22日〜2月5日)のイメージソングにもなりそうな曲調です。
この歌の3カ月後の9月には平野愛子(ひらのあいこ)の「長崎のオランダ娘」も出て、ちょっとした“娘さんブーム”の観を呈します。


「長崎のランタン娘」の
レコード・レーベル



4.「カステラ娘」
(昭和27年=1952、サトウハチロー・作詞、服部良一・作曲、並木路子・歌)



カステラの老舗の東京文明堂が自費制作したPRソングの一つ。
レコードは2枚出ており、1枚は「桃太郎とカステラ」と「カステラ娘」。もう1枚は「カステラ節」と「可愛がってね〜カステラ娘」。
2枚とも店名は最後に出る程度で、CM臭はそれほど感じられませんが、詞、曲、歌ともヒットメンバーをそろえており、かなり力が入った作品です。
この「カステラ娘」はサトウハチロー作詞、服部良一作曲、歌は「リンゴの唄」の並木路子による本格的な歌で、エキゾチックな長崎ムードに、かわいい娘さんと、おいしいカステラのイメージを重ねています。
もう一つの「可愛がってね〜カステラ娘」も野村俊夫(詞)、古賀政男(曲)、神楽坂はん子(歌)と、当時の人気トリオを起用。
“優しいあなたに見つめられ/あたしは何やら恥ずかしい/幼なじみは嬉しいものね/可愛い 可愛いやって/いつまでも チョイト/あたしゃ夢見る カステラ娘〜”と、こちらもうぶな娘さんのイメージです。


5.「対馬の娘」
(昭和29年=1954、西条八十・作詞、古賀政男・作曲、永田とよ子・歌)



長崎のエキゾチックなイメージとは違う、対馬の女性のたくましさを感じさせる歌です。
昭和27年(1952)1月、韓国の李承晩(りしょうばん)大統領によって、対馬のすぐ近くに引かれた漁業境界線“李承晩ライン”を、決死の覚悟で越えていく漁船員の厳しさを歌った「月の朝鮮海峡」が話題になりました。
これはそのB面に収録された歌です。玄界灘に出ていった夫や恋人の帰りを待ち焦がれる対馬の女性を歌っています。
これを歌った永田とよ子は浪曲界の出身で、「津軽の子守唄」のヒットで知られる美人歌手。
A面の「月野朝鮮海峡」を歌った青木光一とロマンスの花を咲かせ、霧島昇とミス・コロムビア(松原操)以来のコロムビア・ロマンスとして当時、世間をにぎわしたものです。
そのカップルがレコードの裏と表で、海の男と対馬美人を吹き込んだもので、まさにアツアツのレコードでした。


島倉千代子の歌で
リバイバル製作された
「対馬の娘」のレコード表紙


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