文・宮川密義


1,600曲を超える長崎の歌の中から、珍しい歌、ユニークなエピソードを秘めた歌などをピックアップしてみました。


1.英語版「長崎は今日も雨だった」
〜IN NAGASAKI,I MET THE RAINY DAY〜
(昭和54年=1949、永田貴子・作詞、彩木雅夫・作曲、メアリー・スティックルス・訳詞、
シーゲル梶原・歌)


昭和44年に出て大ヒットした内山田洋とクール・ファイブの「長崎は今日も雨だった」(バックナンバー9「雨にちなむ歌(2)」参照)の英語版“イングリッシュ歌謡曲”が10年後に出て話題になりました。
歌った「シーゲル梶原」は日本人で、当時、文化放送のアナウンサー、梶原繁(かじわらしげる)さん。英語と歌がうまく、この歌をA面に、B面には千昌夫さんの「北国の春」を「SPRINGTIME IN THE NORTH」のタイトルを付けた英語のシングル盤を出しました。
それが大変好評だったので、他のヒット曲も英語で歌ってLPも出し、長崎にもキャンペーンに来ました。
しかし、英語版はLPまで。その後、梶原さんは文化放送を辞めてフリーとなり、現在もテレビで活躍中です。


英語版「長崎は今日も雨だった」の
レコード表紙


2.パロディ版「長崎の今日は晴れだった」
(平成17年=2005年、ヒロアキ・作詞、彩木雅夫・作曲、後川清&ホットファイブ・歌)


これは今年2月に出たばかりの「長崎は今日も雨だった」(バックナンバー9「雨にちなむ歌(2)」参照)のパロディーソングです。歌っているのは前川清さんのそっくりさんで東京出身の後川清(うしろかわきよし)さん、クール・ファイブのメンバーだった宮本悦朗(みやもとえつろう)さんと小林正樹(こばやしまさき)さんの2人も加わった「後川清&ホットファイブ」。
歌詞は「〜雨だった」の雰囲気をのぞかせながら、最後に「あゝ長崎の今日は晴れだった」と結びます。曲は「〜雨だった」と同じ彩木雅夫(さいきまさお)さん。全体では「〜雨だった」とは違いますが、最後のフレーズは、やはり「〜雨だった」そっくりのメロディーです。
CDの解説には「元クール・ファイブの小林、宮本に前川清のそっくりエンターティナーの後川との爆笑ショーユニット…」と書かれています。
ところで、元歌の「長崎は今日も雨だった」が出たころの長崎は日照り続きで、雨の長崎に期待してやってきた観光客は“長崎は今日も晴れだった”と皮肉っていたものです。


「長崎の今日は晴れだった」のCD表紙


3.「ストレンジャー・イン・長崎」
(昭和46年=1971、なかにし礼・作詞、平尾昌晃・作曲、クリス・ハーシー・歌)


アメリカの青年が片言の日本語で歌ったものです。
歌ったクリス・ハーシーは米国オハイオ州出身。日本の男性向け雑誌のファッション・ページに顔を見せていた25歳の青年でした。昭和40年、母親を亡くしたショックで旅に出て、日本にいた兄のツテで来日、観光旅行の途中、長崎にも立ち寄ります。
その時、諏訪神社境内で和服姿の女性から一緒に写真に写って欲しいといわれ、楽しいひとときを過ごしました。その時の女性が忘れられず、昭和45年に万国博覧会見物で再来日しますが、その女性が嫁いだことを知ってショックを受け、日本のナイトクラブなどで歌っていました。
兄の知り合いだった作曲家の平尾昌晃(ひらおまさあき)さんがクリス君に同情、作詞家のなかにし礼さんとコンビで、クリス君の心情をつづったこの演歌を作ってプレゼントしたということです。
昭和初期、「ニッポン娘さん」など片言の日本語で歌って人気を集めたバートン・クレーンばりの独特のムードをたたえた歌で、長崎にも振り袖の2人の日本女性を連れて来てキャンペーンしましたが、ヒットとまではいきませんでした。

「ストレンジャー・イン・長崎」の
レコード表紙


4.「ポクポク仔馬」
(昭和47年=1972、ナカヤマ和郎・作詞、平川志郎・採譜、補作曲、ニッチモ&サッチモ・歌 )






これは前記バートン・クレーンそっくりの歌です。
歌うニッチモ&サッチモは3人組の若者グループ。メンバーは当時20歳と21歳の大学生、それに「船乗りシンドバッド」と名乗るもう1人。
作品は、昔から東京のスナックで気軽に歌われていたのを、レコード会社のディレクターがグループを作って歌わせ、ラジオの深夜放送「オールナイト・ニッポン」で流したところ、大きな反響がありました。そこで、大急ぎで、当時法政大学4年だったナカヤマ和郎さんが歌詞を付けてまとめたコミックソングです。
歌詞は10節あり、東京からスタートして九州までの各地を渡り歩き、最後に「長崎から船に乗って中国へ行きます、また逢う日まで、また逢う日まで…」と、子馬の歩くテンポに似たリズムとメロディーで面白く歌っています。
「NOKYO JR. OF TEXAS JAPAN」のサブタイトルを付け、歌詞カードには“テキサス・ノーキョー・ジュニアの日本漫遊記”とも銘打っています。

「ポクポク仔馬」のレコード表紙


5.「あの娘(こ)と長崎」
(昭和49年=1974、加川良・作詞、作曲、歌)




昭和44年(1969)、日本にフォークソング・ブームが起こりましたが、長崎の歌にも反映しました。
昭和48年9月、フォークシンガーの加川良さんが作詞し、杉田二郎さんが作曲した「暑い長崎」をアメリカの2人組女子学生フォーク歌手、ベッツイ&クリスが歌った「暑い長崎」が出ました。
長崎で見知らぬ女の子に片思いをしたという内容の曲で、彼女たちがギターの弾き語りで、さわやかに歌いました。
作詞の加川さんはこの歌にはよほど強い思い入れがあったのか、翌49年11月には加川さん自身が曲を付け直し、歌詞も一部手直しして「あの娘と長崎」に改題、LPに入れました。
加川さんの母親は長崎市小ケ倉の出身。当時、叔父さんも長崎にいたので、大学時代は年に2、3回は長崎に来てアルバイトをしていました。加川さんにとって長崎は“第二の故郷”であるわけです。
長崎でのアルバイト時代、疲れをいやすために江戸町の喫茶店に立ち寄っているうち、ウエートレスが好きになり、片思いのままに終わったそうです。この歌はその告白ソングというわけでしょう。



昭和47年、長崎に来演したときの
加川良さん
(長崎市公会堂の楽屋で)


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