文・宮川密義


1.「長崎は今日も雨だった」

(昭和44年、永田貴子・作詞、彩木雅夫・作曲、内山田洋とクール・ファイブ・歌)




「思案橋ブルース」と並んで、長崎の歌ブームの頂点に位置する大ヒット曲です。
この歌が出た頃の長崎は晴天続きでした。
昭和30年代(1955〜)の半ばから深刻な水不足に見舞われ、自衛隊の給水車も出て“長崎砂漠”とまでたとえられたものです。
この歌に誘われて長崎を訪れた観光客は“長崎は今日も晴れだった”と皮肉めいた感想を口にする人も多く見られました。

ところで、当時はキャバレー全盛時代で、クール・ファイブと「思案橋ブルース」のコロラティーノは、ともにキャバレーの専属バンドでした。
デビュー前後はキャバレー間のライバル意識も絡んで火花を散らしましたが、詳しくは後に譲ります。


2.「雨の思案橋」(昭和56年、吉岡 治・作詞、市川昭介・作曲、都はるみ・歌)




昭和43(1968)年の「思案橋ブルース」以降、思案橋を取り入れた歌が続きましたが、都はるみさんにとっては8年ぶり10曲目の長崎ものです。

このレコードは同時に出した3枚の中の1枚。
その頃の歌謡界で新曲のシングル盤を3枚同時に出すのは珍しいケースでした。
歌う都はるみさんも張り切って、特に長崎の歌は久しぶりとあって、キャンペーンにも熱がこもっていました。

雨に濡れた思案橋で別れた人と再会、杯を交わす女心を描写していますが、都はるみさんのしっとりとした歌い方が、思案橋の情緒をかもし出しています。


「雨の思案橋」のジャケット
(部分)



3.「紫陽花の詩」(昭和48年、さだまさし・作詞、作曲、グレープ・歌)




今なお人気不動のさだまさしさんは吉田雅美さんと組んで「グレープ」の名で活躍しましたが、この歌はグレープでデビュー前に作ったプライベート盤「GRAPE−1」(4曲入りコンパクト盤)の中の1曲です。

蛍茶屋から鳴滝、思案橋からめがね橋、南山手から出島…と、市内の人気スポットを、アジサイと雨を絡ませて、リリカルな詞とメロディーで美しく歌っています。




4.「あじさい旅情」(昭和48年、石本美由起・作詞、服部良一・作曲、島倉千代子・歌)




作詞した石本美由起さんは「長崎のザボン売り」で作詞家としてデビューした人ですが、長崎には一度も来ていませんでした。
昭和47(1972)年3月に初めて長崎に旅した際、長崎市花がアジサイと聞いて、「長崎の歌で作詞家になれたご恩返しに」との意味も込めてこの歌を作りました。

歌う島倉千代子さんにとっては歌手生活20周年の記念曲でもありました。
長崎市と長崎新聞社共催の「あじさい祭り」には石本さん、作曲の服部さんと共に来崎して記念植樹に参加、発表会のステージで熱唱しました。


5.「長崎はアジサイ模様の哀愁」
(昭和55年、菅野さほ子・作詞、新井利昌・作曲、梶 芽衣子・歌)




冒頭から赤い傘、青い傘、2番にはエビ茶色の袴も出ています。
夢は七色になり、長崎の街全体が『アジサイ色』と歌います。
「七色草」などとも呼ばれるアジサイを通して、人間の生き方を示唆する奥深い内容の歌です。

梶芽衣子さんの歌は最初LPで出ましたが、評判がよいので、翌56(1981)年12月にシングル盤で出し直しました。

さらに5年後の昭和60(1985)年には、関取の琴風豪規さん(今の尾車親方)がシングル盤に吹き込み直して出ています。


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