文・宮川密義


今回は思案橋から丸山を“歌さるき(歩き)”してみましょう。(本文中の青文字はバックナンバーにリンクしています)

(1) 思案橋跡
  往時の花街・丸山への入り口にあり“行こかう戻ろか”と殿方を迷わせた思案橋跡にはレプリカの欄干が建っています。(前回紹介)
(2) 思切橋跡、見返り柳
  丸山へ上る決心をする人、戻りの未練を断ち切る人〜様々な人生模様を映した思切橋は欄干だけが見返り柳の根元に残されています。(前回紹介)
(3) 丸山公園
  かつては数軒の遊郭がありましたが、昭和18年11月の大火災で焼失、その跡を昭和32年に整備して公園となりました。
(4) 史跡料亭「花月」
  「ぶらぶら節」にも歌い込まれた県指定史跡の料亭「花月」。庭園には「長崎ぶらぶら節の碑」が建っています。
(5) 長崎検番
  町中にあった町検番からは凸助、丸山にあった東検番からは愛八ら多くの名妓が育ち、レベルの高い長崎芸者の名は全国に知られました。戦後、統合されて長崎芸能会、そして長崎検番となりました。
(6) 梅園天満宮
  長崎検番の角から右折、丸山情緒たっぷりの“梅園通り”の坂を上ったところにあります。境内には平成15年、なかにし礼の小説「長崎ぶらぶら節」文学碑が建てられました。
(7) 中の茶屋
  梅園天満宮のすぐ上にある長崎市指定史跡。「ぶらぶら節」にも「遊びに行くなら花月か中の茶屋」と歌われています。
(8) 愛八の墓
  中の茶屋から左手の中小島公園前付近から約400メートル歩くと、長崎女子高校の先に墓地があり、その一角に「ぶらぶら節」で有名な丸山の芸妓だった愛八の墓があります。
(9) 大徳寺跡
  丸山公園に戻り、左手に進むと「勅使坂」があり、楠稲荷の上にある梅香崎天満宮が民謡「長崎の七不思議」で『寺もないのに大徳寺』と歌われた「大徳寺跡」。名物の梅ヶ枝餅も売られています。

【思案橋〜丸山周辺マップ】


*このエリアにちなんだ歌

丸山界隈を歌った歌の筆頭は民謡「ぶらぶら節」です。詳細はバックナンバー「史話『長崎ぶらぶら節』」「『ぶらぶら節』(上)」「『ぶらぶら節』(下)」をご覧下さい。また、端唄の名曲「春雨」も丸山生まれです。
以下、「ぶらぶら節」「春雨」以外の丸山を歌った歌を紹介します。

1.「丸山小唄」

(昭和39年=1964、木野普見雄・作詞、作曲、向島しのぶ・歌)


長崎市議会事務局長だった木野普見雄さんが作詞、作曲した長崎情緒たっぷりの歌です。
吹き込んだのはビクター専属歌手、向島しのぶさん。当時、木野さんが手がけていた「伊王島音頭」「香焼音頭」、「島原の本丸踊り」などに起用、長崎にもイベントなどのゲストとしてたびたびやって来ていました。
「丸山小唄」はお座敷調にしっとりと歌っています。


長崎検番(左)前の丸山本通り


2.「丸山甚句」

(平成16年=2004、新内枝幸太夫・作詞、作曲、歌)


「名所名物の歌」(下)でも紹介しましたが、丸山をテーマにした最新の歌です。
京都を中心に全国各地に出向いて指導している新内弥栄派の家元、新内枝幸太夫(しんない・しこうだゆう)さんが自ら作詞、作曲して吹き込み、テープで発表しました。
長崎の、特に丸山、思案橋あたりの情緒を、三味線の弾き語りで新内調にしっとりと歌っており、舞踊の振りも付けられて親しまれています。


「丸山甚句」の表紙


「丸山甚句」を歌った新内枝幸太夫さん


3.「長崎夢情」
(平成11年=1999、新本創子・作詞、彩木雅夫・作曲、瀬川瑛子・歌 )


「丸山」は長崎情緒を深める重要なエッセンスとして使われています。
「長崎の夜の歌」でも紹介しましたが、青江三奈さんのヒット曲「長崎ブルース」は夜の思案橋から丸山あたりの情緒をしっとりと歌っています。
「長崎の夜はむらさき」の瀬川瑛子さんが昭和52年2月、「…むらさき」並みのヒットをねらって出した「長崎霧情」(星野哲郎・作詞、新井利昌・作曲)は3番で「またきてしまった はるばる長崎/あなたの居そうな丸山あたり/日暮れが点したガス灯を/青い夜霧が消してゆく…」と歌いました。
さらに平成11年8月には9作目の長崎の歌とし「長崎夢情」を発表しましたが、夜の丸山、銅座界隈をさまよい歩く女性を歌いました。



「長崎夢情」の表紙


独特のムードをたたえた宵の丸山公園


4.「南蛮ながさき」
(昭和41年=1966、植田紳爾・作詞、寺田滝雄・作曲、真帆志ぶき・歌)


この歌は宝塚舞踊劇「南蛮屏風」の主題歌の1つとして作られました。
長崎の異国情緒がたっぷりと歌われていますが、舞台は胡弓の調べが流れる雨の丸山。ゆったりとしたテンポで歌われています。
作詞の植田紳爾(うえだ・しんじ)さんは脚本・演出家で、「ベルサイユのばら」(昭和49年)、「風と共に去りぬ」(同52年)などを手がけ、宝塚歌劇団を全国区の劇団に育てあげ、平成16年まで歌劇団理事長をつとめた人です。昨年初演のミュージカル「長崎しぐれ坂」など主題歌も受け持ち、登録された作品は400曲近くに及びます。
なお、「南蛮ながさき」のサビの部分「みまっせ よかとこ寄りまっせ…」以下は、昭和21年に出た「長崎シャンソン」(内田つとむ・作詞)の「見まっせヨカトコ 寄りまっせ バッテン長崎 恋の町恋の町」にそっくりです。
歌った真帆志ぶき(まほ・しぶき)さんは宝塚歌劇団の人気スター。独創的なメーキャップと共に人気を集め、退団後もミュージカルに専念しました。


レコードの表紙


5.「長崎七不思議」
民謡「長崎七不思議」の項でも紹介しましたが、「長崎七不思議」には丸山も歌われており、大徳寺跡と併せて、改めて紹介します。


寺もないのに大徳寺
「大徳寺」は真言宗の寺で、宝永5年(1709)ごろ伊勢町から本籠町に移転。長崎貿易が不振になってからは唐船からの寄付がなくなったため寺の維持に支障を来し、明治初期に廃寺となり、のちに梅香崎天満宮となりました。
現在は「大徳寺公園」で知られ、名物の梅ヶ枝餅は健在です。

平地なところ丸山と
「丸山」は、最初は「太夫町」と称していましたが、寛永19年(1642)に遊女屋を集めて寄合町が誕生、隣の太夫町を丸山町と改称しました。
由来は、緩やかな傾斜の地形から…という説、民謡「ハイヤ節」を生んだ平戸・田助の丸山という地に遊女屋があったことに倣ったという説があります。


石碑も建つ丸山公園の思案橋側


大楠が茂る大徳寺跡の 「大徳寺公園」


番外 「歌で巡る長崎」を出版

このサイトのタイトルを表題にした単行本「歌で巡る長崎 長崎県の歌謡史」が長崎新聞社から出版されました。
長崎県をテーマにした歌は1,670曲ありますが、その大部分が長崎をテーマにしています。本書は、本サイトでも紹介した歌の他、隠れた話題曲、なつメロ、最近の歌まで、エピソードを添えながら、ジャンル別に解説しています。100曲の歌詞、写真や図版も豊富に、分かりにくい場所には略図も付けています。
4月から始まる「長崎さるく博’06」で本書を片手に“歌巡り”はいかがでしょう。
☆著者:宮川密義
☆体裁:A5判、234ページ
☆定価:¥1,680(税込み)

※詳細は長崎新聞社事業局出版部 TEL095-844-5469 FAX095-844-5885
または長崎新聞社ホームページで。

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